ウェブサイト開設10周年の御挨拶

はじめに、この場を借りて暑中お見舞い申し上げます。

さて、おかげさまで201881日をもって当ウェブサイト開設から10周年を迎えることができました。これまで当ウェブサイトにアクセスしてくださったすべての方に心より御礼申し上げます。

 2008年のウェブサイト開設に向けて準備していた折、右翼民族派の話題に上っていたのは北京オリンピックでした。中国政府によるチベット民族やウイグル民族への弾圧、言論統制などに対する抗議から全国各地で運動が行われました。「在日特権を許さない市民の会」を始め、保守・右翼の市民運動のような「行動する保守」が勃興したのもこのころでした。右翼民族派は最後まで抗議デモなどの活動を続けましたが、虚しく開催されてしまいました。

 開設してからしばらくして、リーマンショックが起こり、自民党政権への絶望から2009年の衆議院総選挙で民主党政権が誕生しました。アメリカのオバマ大統領とともに大きな期待をもって発足した鳩山由紀夫内閣でしたが、アメリカ軍基地の県外移転も子ども手当も実現せず、事業仕分けは大した効果を発揮しませんでした。右翼民族派は労働組合の支援を受ける民主党政権を攻撃しはじめました。国民の期待は失望に変わり、失意のうちに菅直人内閣に代わりました。菅直人内閣で中国漁船と海上保安庁の巡視船が衝突する事件が起き、その対応から「行動する保守」の運動が盛り上がりを見せました。右翼民族派と「行動する保守」は互いに接近していき、陰に陽に協力するようになっていきました。同時に、どちらかというと左翼にありがちであったある種の「教条主義」が見られるようになった気がします。「行動する保守」から逮捕者が続出し、「ヘイトスピーチ」が社会問題となる過程で、「行動する保守」から距離を取る右翼民族派も増えましたが、今も人脈としてはつながっているところがあります。

そして2011311日、東日本大震災が起こり、福島第一原子力発電所の事故が起こりました。東北地方を中心に多大な被害が発生しましたが、その復興は未だ道半ばです。多くの右翼民族派は被災地の支援とともに、民主党政権を攻撃し、また盛り上がりを見せた反原発運動を攻撃しました。20118月、野田佳彦内閣が誕生しましたが、この頃には完全に希望が失われていました。

 201212月、衆議院総選挙で民主党政権が崩壊し、自民党政権が安倍晋三とともに復活しました。右翼民族派が望む政策が続々と実施されるものと思いきや、竹島の日は未だに制定せず、総選挙時に反対していたはずの環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に参加することになりました。2013年に特定機密保護法、2014年に集団的自衛権の容認、2015年に安保関連法、2017年にテロ等準備罪、そして2018年にはIR法、改正種苗法(種苗法保護の廃止)、改正水道法(水道民営化)が可決されました。同時に数限りない政治家の失言や数々の汚職が発覚しましたが、自民党安倍政権は口先だけの責任や謝罪を繰り返すばかりで、責任者たる国務大臣に対する処分や再発防止策の検討もろくに行わないままです。日本国憲法はないがしろにされ、日本の民主主義どころか法の支配すら危うい事態です。しかし、そのような中でも野党は四分五裂を繰り返して議席を増やせず、国政選挙で毎回自民党の圧勝を許している状況です。右翼民族派は安倍内閣を相対的に支持しつつも、日韓合意やアメリカのトランプ大統領への過度な依存、外国人の受け入れなど個別の政策に関しては批判を強めています。

 福島第一原子力発電所の事故から、既存の運動とは異なる新たな運動が勃興しました。その一つが反原発運動です。「右からの脱原発」をはじめ、保守・右翼民族派から原発廃止の声が上がりだしました。暴力団排除条例の制定から、右翼民族派により「暴力団排除条例研究会」が結成され、後に「社会の不条理を糾す会」となりました。また自民党政権が復活して以来、「行動する保守」が勢いを増す中、ヘイトスピーチ(憎悪表現)が社会問題となり、「レイシストをしばき隊」を端緒として対レイシズムカウンター運動が隆盛を見せました。特定機密保護法の審議をきっかけに民主主義と生活を守る有志(SADL)が、安保法の審議をきっかけに自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs)が結成され、大きな反対運動を繰り広げました。私も時々それらの活動を観測しに行くことがありましたが、一部を除いていずれも最終的には既存の政治勢力に組み込まれていっているように見えます。

 活動の中で、私のスタンスも徐々に変わっていったと感じます。始めは何もわからないまま、ひたすら右翼民族派の言うことに反発するだけでした。しかし、右翼民族派との交流が増え、既存の左派・リベラルへの期待と幻滅を繰り返すたび、次第に自分の中の郷土愛など、右翼民族派に共通するものがあることに気づき、敵であるはずの右翼民族派への理解は深まっていきました。そして、国家と人間(国民)の関係という観点において、「国家は人間が生きるための手段の一つ」と考える私と「国家(国体天皇)のために国民は生きる」と考える右翼民族派は相容れない溝があることにも気づいてしまいました。10年前に小泉純一郎内閣や第一次安倍内閣下での右傾化に抗すると銘打ち、右翼民族派の言動に基づいて批判を行うために活動を始めましたが、その当時より状況は悪化してしまいました。街宣活動での演説・シュプレヒコールへの反論もままならない状況で、私の至らなさを痛感します。同時に、考え方の違う者同士が建設的に議論することの難しさ、人の考えを変えることの難しさも痛感しました。

北京オリンピック開会式当日、開催反対の抗議デモを続けた右翼民族派が活動を続ける理由を「心ある日本人がいたことを後世に伝えるため」と言っていました。当時はわからなかったその言葉の意味が、10年経た今はわかる気がします。一方で、私の中心にある何かはあまり変わっていないと感じます。無批判に現実に迎合せず、圧力に屈しない良識ある国民がいることを権力に思い知らせ、後世に伝えます。そしてあるべき理想を実現するための思考と探求を止めず、そのために行動することを忘れません。

 最後に、これまで当ウェブサイトをご覧いただいたすべての方に改めて感謝いたします。これからも日本革命連合ウェブサイトをよろしくお願い申し上げます。

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