「また、・・・昭和2086日、89日には、広島・長崎にアメリカのB29により、エノラ・ゲイによって原爆を投下された日でもあります。皆様もご存知の通り、罪もない民間人が何万人も焼死したのです。皆様もこの広島・長崎に対する原爆投下はよくご存知かと思います。アメリカによって投下された原爆により、広島・長崎は焼け野原となり、・・・熱風により人が焼けていく姿を間近で目撃した人たちは、未だに苦しんでいるのであります。アメリカが、・・・まず、謝罪しなければなりません。・・・アメリカがリメンバー・パールハーバーを唱えるのであれば、われわれ日本人は、リメンバー広島・リメンバー長崎を唱えていかなければなりません。・・・」

「・・・この悲劇、惨劇、屈辱を、われわれ現代に生きる日本人はなんと見る?忘れていいのか?へらへら笑ってていいのか?なぜへらへらしていられるんだ?悔しくないのか?貴様らはそれでも日本人か?・・・美辞麗句を取って、日本の腐れたマスコミ共はアメリカは変わるんだと、そんな馬鹿な綺麗ごとにも、淡い期待をしているが、本当に、バラク・オバマがチェンジを口にするならば、そして、・・・2030年までに、核兵器の全面的廃絶を目指している、そういった綺麗ごとを言うのであるならば、まず何よりも、昭和20年の86日、そして89日のあの惨劇、広島・長崎原爆投下大虐殺、世界史上類を見ない鬼畜行為を行ったアメリカ自らが、わが国日本に対し、明確なる謝罪をしてしかるべきなのである。そのしかるべき謝罪もなく、口先だけの核兵器廃絶を訴えるバラク・オバマはまさしくもって偽善者であり、二枚舌の持ち主だ。その二枚舌の持ち主に騙される日本人、貴様らは馬鹿のようだ。悔しいならば今すぐに、アメリカに対する怒りを胸に、原子爆弾投下の、大量虐殺への怒りを胸に、ともに声をあげようではないか。・・・未だ日米安保条約と言う、アメリカにおんぶにだっこ、経済においてもしかり、軍事においてもしかり、アメリカの一挙手一投足に左右される今の日本。昭和20年の8月の6日の広島、そして長崎の虐殺の犠牲者が今の日本を見たら何と思うか。真に彼ら広島・長崎の原爆の犠牲者たちを弔うならば、今すぐわが国日本は、アメリカから決別し、真の独立国家日本を取り戻さなければならない。・・・英霊が流す、無念の涙雨を受けて、難波までの遠い道のりを、よろしく最後まで、総は仕様ではございませんか(頑張りましょう!)。・・・」

「アメリカによる広島・長崎原爆投下大虐殺を我々日本人は決して忘れないぞーーー!!!(わすれないぞーーー!!!)」

「許すまじ、忘れまじ、アメリカは広島・長崎原爆投下大虐殺をわが国日本に謝罪せよーーー!!!(しゃーざいせよーーー!!!)」

「我々日本人は64年前、瞬時にして灰にされた、同胞の無念を、忘れないぞーーー!!!(わーすれないぞーーー!!!)」

「我々今を生きる日本人は、広島・長崎原爆投下により瞬時にして灰となった同胞の無念を胸に、アメリカと戦うぞーーー!!!(たたかうぞーーー!!!)」

「我々日本人はアメリカに対し、謝罪を要求するぞーーー!!!(よーきゅーするぞーーー!!!)」

「偽善者バラク・オバマは、広島・長崎を訪問し、犠牲者の御霊の前で謝罪せよーーー!!!(しゃざいせよーーー!!!)」

「すべての日本人は、反米愛国闘争に、結集せよーーー!!!(けっしゅーせよーーーー!!!)」

「我々日本人は誇りを胸に、広島・長崎原爆投下大虐殺へのアメリカの謝罪を勝ち取るぞーーー!!!(かちとるぞーーー!!!)」

「現代を生きる日本人は広島長崎原爆投下大虐殺を忘れるなーーー!!!(わ−すれるなーーー!!!)」

「偽善者バラク・オバマに対し、謝罪を、要求するぞーーー!!!(よーきゅーするぞーーー!!!)」

「偽善者バラク・オバマ、糾弾―――!!!(きゅーだーーーん!!!)」

いかがでしょうか。そして、どう感じたでしょうか。

「また、・・・昭和2086日、89日には、広島・長崎にアメリカのB29により、エノラ・ゲイによって原爆を投下された日でもあります。皆様もご存知の通り、罪もない民間人が何万人も焼死したのです。皆様もこの広島・長崎に対する原爆投下はよくご存知かと思います。アメリカによって投下された原爆により、広島・長崎は焼け野原となり、・・・熱風により人が焼けていく姿を間近で目撃した人たちは、未だに苦しんでいるのであります。アメリカが、・・・まず、謝罪しなければなりません。・・・アメリカがリメンバー・パールハーバーを唱えるのであれば、われわれ日本人は、リメンバー広島・リメンバー長崎を唱えていかなければなりません。・・・」「アメリカによる広島・長崎原爆投下大虐殺を我々日本人は決して忘れないぞーーー!!!(わすれないぞーーー!!!)」「許すまじ、忘れまじ、アメリカは広島・長崎原爆投下大虐殺をわが国日本に謝罪せよーーー!!!(しゃーざいせよーーー!!!)」「我々日本人は64年前、瞬時にして灰にされた、同胞の無念を、忘れないぞーーー!!!(わーすれないぞーーー!!!)」「我々今を生きる日本人は、広島・長崎原爆投下により瞬時にして灰となった同胞の無念を胸に、アメリカと戦うぞーーー!!!(たたかうぞーーー!!!)」「我々日本人はアメリカに対し、謝罪を要求するぞーーー!!!(よーきゅーするぞーーー!!!)」「すべての日本人は、反米愛国闘争に、結集せよーーー!!!(けっしゅーせよーーーー!!!)」「我々日本人は誇りを胸に、広島・長崎原爆投下大虐殺へのアメリカの謝罪を勝ち取るぞーーー!!!(かちとるぞーーー!!!)」広島に原爆を投下したB29がエノラ・ゲイ号であり、長崎に原爆を投下したB29はボックス・カー号です。間違えてはいけません。確かにアメリカの行った原爆投下は明らかに無差別爆撃であり大量虐殺であって、(同じ行為をアジアで行った日本もそうですが)到底許されるものではありません。現代に生きる私たちも原爆投下という、歴史至上の大事件を決して忘れてはならず、この出来事を後世に伝えていく義務があります。原爆を投下され火の海となった広島・長崎における人々の苦しみは筆舌に尽くしがいものであり、(原爆投下に関わった退役軍人たちの名誉を守りたいという気持ちも理解はできますが)アメリカはその大罪を謝罪すべきでしょう。しかし、その根源には、広島と長崎のような場所をこれ以上生み出さない、核兵器の存在をこれ以上認めないという理想があるべきであり、アメリカへの憎悪があるべきではありません。

「・・・この悲劇、惨劇、屈辱を、われわれ現代に生きる日本人はなんと見る?忘れていいのか?へらへら笑ってていいのか?なぜへらへらしていられるんだ?悔しくないのか?貴様らはそれでも日本人か?」「その二枚舌の持ち主に騙される日本人、貴様らは馬鹿のようだ。悔しいならば今すぐに、アメリカに対する怒りを胸に、原子爆弾投下の、大量虐殺への怒りを胸に、ともに声をあげようではないか。」このようなことを言う人が、大衆運動を指導していけるのでしょうか。あまり大衆を馬鹿にするような演説をすると、大衆から憎まれることとなります。そうなれば国民運動が起こらないどころか、民族運動どころではなくなるでしょう。運動は大衆と指導者のある種の信頼関係から生まれるはずです。大衆を見下すようななるべく言動は慎んだ方が良いでしょう。

「・・・美辞麗句を取って、日本の腐れたマスコミ共は、アメリカは変わるんだと、そんな馬鹿な綺麗ごとにも、淡い期待をしているが、本当に、バラク・オバマがチェンジを口にするならば、そして、・・・2030年までに、核兵器の全面的廃絶を目指している、そういった綺麗ごとを言うのであるならば、まず何よりも、昭和20年の86日、そして89日のあの惨劇、広島・長崎原爆投下大虐殺、世界史上類を見ない鬼畜行為を行ったアメリカ自らが、わが国日本に対し、明確なる謝罪をしてしかるべきなのである。そのしかるべき謝罪もなく、口先だけの核兵器廃絶を訴えるバラク・オバマはまさしくもって偽善者であり、二枚舌の持ち主だ。」「偽善者バラク・オバマは、広島・長崎を訪問し、犠牲者の御霊の前で謝罪せよーーー!!!(しゃざいーせよーーー!!!)」「偽善者バラク・オバマに対し、謝罪を、要求するぞーーー!!!(よーきゅーするぞーーー!!!)」「偽善者バラク・オバマ、糾弾―――!!!(きゅーだーーーん!!!)」確かにオバマ大統領が言った一言が何度も、事あるごとに報道されたり、平和記念式典でもオバマ大統領の言葉が賞賛されていたりする(Yes, we can.が使われていました)など、マスコミのあまりの熱狂ぶりに私も辟易しますし(その意味では日本のマスコミは腐っているかもしれませんが)、オバマ大統領が広島、長崎に来なかったのは残念に思いました。しかし、オバマ政権はまだまだこれからです。この言葉は期待でもあり、不安でもあります。オバマ大統領が宣言したことを実行に移せるか、オバマ大統領のアメリカが今後どのような国になるのか、まだ様子を見ようではありませんか。今の時点でオバマ大統領はおそらく偽善者とされてしまうでしょうが(二枚舌の持ち主かどうかは判断がつきかねます)、将来偽善者でなくなるかもしれません。早くオバマ大統領が偽善者という不名誉な称号を捨て去り、残虐行為である広島・長崎への原爆投下に心から謝罪し、核廃絶を現実のものとすることを望むばかりです。

「・・・未だ日米安保条約という、アメリカにおんぶにだっこ、経済においてもしかり、軍事においてもしかり、アメリカの一挙手一投足に左右される今の日本。昭和20年の8月の6日の広島、そして長崎の虐殺の犠牲者が今の日本を見たら何と思うか。」確かに日米安保条約下で日本が経済的にも、軍事的にも、外交的にもアメリカに対して強い態度に出られないのは否定しようもありませんが、その価値判断に広島や長崎の原爆犠牲者を引き合いに出すのはいささか失礼ではないでしょうか。原爆の犠牲者が思うことなど私たちが想像できるものではありません。ある意味で「死人に口なし」なのです。広島・長崎への原爆投下は、ただ、悲しいのです。

「真に彼ら広島・長崎の原爆の犠牲者たちを弔うならば、今すぐわが国日本は、アメリカから決別し、真の独立国家日本を取り戻さなければならない。」確かにアメリカから決別すべきすべきなのかもしれません。しかし、右翼民族派のいう真の独立国家日本とはどのようなものなのでしょうか。それ次第では賛成でも反対でもありえます。

また、ダイジェストの写真の1枚に「平和・安全保障は憲法改正・核武装」という横断幕が写っていましたが、憲法を改正し、核武装をしたとしても、真の平和は訪れないでしょう(訪れる平和は、恐怖の中の平和だけです)。冷戦時代、世界は「平和」でしたか。憲法についての議論は憲法問題をご覧ください。また、核武装をすれば、実質的に北朝鮮の核兵器保有を了承したことになります。北朝鮮は日本の核武装に対抗するために核兵器をさらに製造するでしょうから。中国も同じことを考えるでしょう。アメリカは、日本独自の核兵器保有を認めないでしょうから、アメリカは日本を敵国とみなすでしょう。そして、行く行くは日本は世界からアメリカと同じ様に厄介な大国とみなされるのです。北朝鮮と同じ様に核兵器を外交カードにちらつかせる国となるのです。それでよいのですか。それに、核武装のための予算はどのように捻出するのでしょうか。ただでさえ国家財政が厳しいのに、そのための予算を捻出できるのでしょうか。何よりも、核武装を主張する人は、広島・長崎のような場所を更に作り出すという気概と覚悟はあるのでしょうか。広島・長崎の被爆者たちの苦しみを自ら他国(もしかすると自国)の人々に与えるという自覚はあるのでしょうか。そのような自覚など必要ないというならば、何の為に核武装をするのでしょうか。ただ単に外交で侮られるからという理由でするならば、それは解決の仕方を間違っているであろうと言わざるを得ません。外交で侮られれることの反対は恐れられることではありません。

広島・長崎への原爆投下は第二次世界大戦で起きた最大の悲劇の一つであり、人類が決して忘れてはならないものです。そして原爆投下をアメリカは謝罪すべきです。しかし、その根底は「大東亜戦争の正義」ではなく二度と被爆者を生み出さない、二度と広島・長崎のような場所を生み出さないという願いであるべきです。

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