この間の演説・シュプレヒコール

「・・・和歌山県民の皆様、今月20日より、ご当地県民文化会館に於いて、日本共産党系団体「全日本教職員組合」が集会を予定しております。その教職員組合の全教は日教組と同じく共産社会主義思想に傾倒した左翼分子の集まりで数の力で公教育・学校教育を牛耳り、反国家、反体制が己らの使命であるかの如く、反日自虐教育を児童子供達に積極的に行う事により、国家体制の転覆を目論む国賊集団です。彼らは教師・先生と呼ばれながら、聖職者としての自覚や意識など持ちえず、エゴと権利をごり押しするだけの自己中心的身勝手人間であり、公僕である責任感など微塵の欠片も当然なく、その様な無能者に、日本の将来を担う子供達の教育を任せていいのでしょうか。戦後よりその国賊教師達の自虐史観に満ちあふれた反国家教育で、日本の教育は大きくねじ曲げられてしまい、祖国や社会の事は無関心で、権利意識だけが強烈で無責任な人間が大量に排出する結果になっております。学校では、国家に対する誇りや伝統・公徳心といった概念すら教えられず、国家意識、民族意識の欠落した異常な教育が進められ、現在では道徳教育もすっかり跡形もなく消滅してしまい、子供達は人として最も大切な道義心を失い、一昔前には考えられなかった、青少年達の無機質で良心の欠片もない凶悪な事件が世間を騒がしても、何の違和感もない国に成り下がっています。その様な現状に至っても、政治家達は政権欲しさに国賊左翼陣営と平気で手を組み、国家の教育権を左翼教師達に差し出す始末、それどころか国家主権の重要性を理解する事なく、国家防衛はアメリカに丸投げして放置したまま、他国に領土が奪われていても、国民が拉致されていても、何もしない、出来ない今日の日本の有り様に愛国心の持てない国民が増加するのは、必然な事でありこのまま教育を放置すれば更なる荒廃へと繋がるのです。良識ある国民の皆様、教育の再生は愛国心を悪と見なす戦後教育の過ちを、国民の良識で一掃するにより成し遂げられるのであります。今こそ教育現場から国賊左翼教職員を排除し国家百年の大計である教育の正常化を国民の力で推し進め日本国家の再生に向けて立ち上がろうではありませんか。・・・」

「全教!!!(ふんさい!!!)」

「赤き革命集団全教に会場を貸した、和歌山県知事、仁坂吉伸(管理人注:にさかよしのぶ)は、即刻、辞職せよーーー!!!(じしょくーーーせよーーー!!!)」

「日本共産党の手先、全教を粉砕せよーーー!!!(ふーんさーいせよーーー!!!)」

「乱れた学校教育を主張し、日本共産党の勢力拡大の道具とする、全教粉砕せよーーー!!!(ふーんさーいせよーーー!!!)」

「国賊(売国革命集団)全教粉砕せよーーー!!!(ふーんさーいせよーーー!!!)」

 いかがでしたか。そして、どう思いましたか。

 「その教職員組合の全教は日教組と同じく共産社会主義思想に傾倒した左翼分子の集まりで数の力で公教育・学校教育を牛耳り、反国家、反体制が己らの使命であるかの如く、反日自虐教育を児童子供達に積極的に行う事により、国家体制の転覆を目論む国賊集団です。」何をもって共産主義思想というのでしょうか。右翼民族派の中の「共産主義思想」と一般の「共産主義思想」、そして左翼の「共産主義思想」では意味が大きくずれていると感じるのは私だけでしょうか。たとえ日教組や全教が「共産社会主義思想に傾倒した左翼分子の集まり」であろうとも、日教組も全教も「公教育・学校教育を牛耳」るには「数の力」が到底及ばないでしょう。文部科学省の調査によれば、日教組の組織率は2010年現在で27.1%、全教などと合わせても教職員団体の組織率は教職員全体の42.3%しかありません。そのような組織がどのように公教育・学校教育を牛耳るのでしょうか。日本のあらゆる個人・集団は、体制批判をしてはいけないのですか。このウェブサイトは即刻閉鎖しなければならないのですか。日本では思想や信条の自由が保障されていますから、体制批判をしても何の問題もないはずです。体制がおかしければ声をあげる、これがおかしなことなのですか。右翼民族派は体制批判をしないのですか。あらゆる問題で体制批判をするはずですし、現在の民主党体制下ほとんどの右翼民族派が反体制派となっているはずです。それと同じです。また、過度の自虐、過度の人権、過度の平等は困りますが、過度の競争社会、過度の愛国心、過度の自尊心も困ります。右翼民族派の言う「正常化された教育」は右翼民族派の批判する中国の愛国教育のようになり得るかもしれません。日教組や全教が愛国教育そして日の丸、君が代を恐れる理由はそこにあります。もし右翼民族派が愛国教育や道徳教育を支持するのであれば、その不安が不必要であることを日教組や全教に伝えなければなりません。また、競争社会において脱落した人が愛国心を言い訳にだれかを見下すという現象が起きるかもしれません。それを右翼民族派はどう見るのでしょうか。

 「彼らは教師・先生と呼ばれながら、聖職者としての自覚や意識など持ちえず、エゴと権利をごり押しするだけの自己中心的身勝手人間であり、公僕である責任感など微塵の欠片も当然なく、その様な無能者に、日本の将来を担う子供達の教育を任せていいのでしょうか。」確かに教員の利益の追求は悪く言えば自己の利益を追求する自分本位です。しかし、国の教育政策によってしだいに仕事が増えていき、過労死したり過労によって鬱病にかかったりする教師はどうなるのでしょうか。過労の危機にさらされる教師たちはどこに助けを求めればよいのでしょうか。教師は聖職者だから過労死しても構わないのですか。ある右翼民族派は、日教組や全教のしていることはただの自己保身であり、子供たちのことを第一に考えていないので、自己の権利を主張する前に、教師としての職務を全うせよと言っていました。権利がなければ継続して職務を全うできないから権利を主張するのではないでしょうか。教師同士が助け合うための組織が日教組であり、そのための全教であると私は考えます。日教組や全教の教師にも優秀な教師がいるはずです。日教組は全教の教師が無能であるという命題は日教組と全教の教師を信頼できる母数だけ調べ上げて、それらの教師全員が無能である(当然、教師が無能であることの定義もはっきりさせておく)と証明しない限り成り立ちません。

 「戦後よりその国賊教師達の自虐史観に満ちあふれた反国家教育で、日本の教育は大きくねじ曲げられてしまい、祖国や社会の事は無関心で、権利意識だけが強烈で無責任な人間が大量に排出する結果になっております。学校では、国家に対する誇りや伝統・公徳心といった概念すら教えられず、国家意識、民族意識の欠落した異常な教育が進められ、現在では道徳教育もすっかり跡形もなく消滅してしまい、子供達は人として最も大切な道義心を失い、一昔前には考えられなかった、青少年達の無機質で良心の欠片もない凶悪な事件が世間を騒がしても、何の違和感もない国に成り下がっています。」「自虐史観」に何か問題があるのでしょうか。侵略戦争をした国家に対し「国家意識」や「民族意識」を持つことはできないのでしょうか。侵略戦争をした国家だから「国家意識」や「民族意識」を持つことはできないというのは、それこそ右翼民族派の言う「大東亜戦争」における「東亜解放の精神」に反するのではないでしょうか。日本が一時期侵略国家であったことは否定することができません。中国をはじめアジア各地を日本と同化させようとした、その罪を否定することはできません。その罪を包容してこそ真の「愛国心」や「国家意識」というものが生まれるのではないでしょうか。私もそうでした。中学生のころは、このような侵略をしておいて、賠償も碌に行わない、日本などという国家は滅んでしまえ、とまで思っていました。しかし、時がたつにつれて、さまざまな経験を重ねるうちに、このような国家でも、この国の文化も好き、伝統も好きだから、この国を少しずつ良くしたいと思うようになりました。いかなる国でも、その歴史すべてが輝かしい歴史であることはないのです。ドイツ然り、イギリス然り、フランス然り、イタリア然り、中国や韓国も例外ではありません。国家の罪を認め、その罪に向き合ってこそ真の愛国心そして国家意識、民族意識が生まれるのではないのでしょうか。愛国心のために罪を隠蔽し美化することこそ、ある種の「自虐」であり、「反国家教育」ではないのでしょうか。罪を隠蔽しなければ得られない愛国心にどれほどの価値があるのでしょうか。ところで、社会に無関心で、権利ばかりを主張する人は日本でなくともいると思うのですが・・・。そもそも、日本では元来市民が権力との闘争によって獲得したものであるはずの「権利」が、敗戦によって事実上占領軍から与えられたものとなっていることがその根底にあるのかもしれません。

 最近、ある右翼民族派に、現在学校で行われている道徳教育をどう考えているのか、と尋ねました。その右翼民族派は、形の上では道徳教育が存在するが、その実態がないと答えました。「共産党系団体」全教の場合に限って言えば、共産党は「市民道徳」なる概念を1997年に打ち出しており、道徳心(道義心)の存在そのものに否定的であるわけではありません(右翼民族派の理想とする道徳には程遠いものでしょうが)。右翼民族派の望む道徳教育とは一体何なのでしょうか。恐らくその原点は教育勅語にあるのであろうと思われるのですが、現代に教育勅語が通じるのでしょうか。その効用には疑問を呈せざるを得ません。何度も言いますが、右翼民族派のいう日本の歴史、伝統、文化とは一体何なのでしょうか。右翼民族派はそれらが何なのか分かっているのでしょうか。それも疑問です。

 先ほどのある右翼民族派に、道徳教育と青少年の犯罪は関係ないのではないか、と尋ねたところ、関係がある、答えました。昔は番長がいてそれが目を光らせていたが、今はそれがないというのです。そのような時代でも佐川一政の事件があったではないか、と尋ねると、それは一部の例外であると答えました。それでは戦前の津山事件や学童疎開におけるいじめ、戦後では片桐操や永山則夫の事件もすべて「一部の例外」なのですか。青少年の犯罪に番長の存在もほとんど関係ないのではないでしょうか。そもそも、番長が目を光らせる社会は番長が道徳であるということになり、教育勅語の目指す道徳とはやや違うのではないでしょうか。

 「その様な現状に至っても、政治家達は政権欲しさに国賊左翼陣営と平気で手を組み、国家の教育権を左翼教師達に差し出す始末、それどころか国家主権の重要性を理解する事なく、国家防衛はアメリカに丸投げして放置したまま、他国に領土が奪われていても、国民が拉致されていても、何もしない、出来ない今日の日本の有り様に愛国心の持てない国民が増加するのは、必然な事でありこのまま教育を放置すれば更なる荒廃へと繋がるのです。」民主党と日教組の関係を言っているのでしょうか。だとすれば別に「共産党系」の全教の教研集会の場で言う必要はありません。右翼民族派こそ国家主権とはなぜ重要なのかわかっているのですか。アメリカに国家防衛を丸投げしているのは問題ですが、それは全教と日教組に何の関係があるのでしょうか。むしろ日教組も全教も在日アメリカ軍の撤退を求めているのではありませんか。民主党政権がその意見を無視して沖縄県内に基地を移設しようとしているから、現在アメリカ軍基地移設問題が混迷の中にあるのではありませんか。そして、全教に抗議活動を行っている右翼民族派は皆アメリカ軍駐留に反対であるということで良いのでしょうか。他国に領土が奪われ、国民が拉致されている状態で、ただ日本政府が手を拱いていたわけではありません。領土関係にしても、一進一退ではありますが長年交渉を行っていますし、拉致問題にしても拉致被害者5人が帰国したわけです。それを「何もしない、できない」と言うのでは、右翼民族派は日本政府の努力を評価するに値しないと判断しているのですか。それは日本政府を馬鹿にしていませんか。そして、愛国心のない国民が増加しているという事実はどのように確認できるのでしょうか。ぜひ教えていただきたいものです。そもそも「何もしない、できない」国家に愛国心を持てないとは、日本国民を馬鹿にしているのですか。右翼民族派の皆様は現在の日本に対する愛国心を持ち合わせていないのですか。そうではないでしょう。日教組や全教の「偏向教育」が厳然と存在するのであれば、現在の日本では愛国心など死語です。つまり、日教組や全教の「偏向教育」や「洗脳教育」なるものは、後天的な、わずかなきっかけにより簡単にその効果を失ってしまうのです。そう考えると、日教組や全教の「偏向教育」や「洗脳教育」なるものは、教育の現場ではほとんど影響力を持ち合わせていないと考えることができます。

「良識ある国民の皆様、教育の再生は愛国心を悪と見なす戦後教育の過ちを、国民の良識で一掃するにより成し遂げられるのであります。今こそ教育現場から国賊左翼教職員を排除し国家百年の大計である教育の正常化を国民の力で推し進め日本国家の再生に向けて立ち上がろうではありませんか。」「全教!!!(ふんさい!!!)」「日本共産党の手先、全教を粉砕せよーーー!!!(ふーんさーいせよーーー!!!)」「乱れた学校教育を主張し、日本共産党の勢力拡大の道具とする、全教粉砕せよーーー!!!(ふーんさーいせよーーー!!!)」「国賊(売国革命集団)全教粉砕せよーーー!!!(ふーんさーいせよーーー!!!)」日教組も全教も公式には愛国心そのものを否定しているわけではありません。「日の丸・君が代強制」といった「愛国心」を表すにあたって特定の形式を強制することに反対しているのです(中には日の丸・君が代そのものを否定している場合もありますが)。愛国心の持ち方など人それぞれというわけです。そこへ愛国心のない国民が増加していると言っておきながら、その日本国民に良識を求めるのですか。国民を馬鹿にしているのか協力を求めているのかどちらなのですか。「国賊左翼教職員」の排除と教育の正常化との因果関係が本当は一体どのようになっているのかわかりませんが、おそらく右翼民族派の間では「教育が正常化されるならば、「国賊左翼教職員」は排除されている」という命題になっているのでしょう。しかし、それは命題ではありません。「国賊左翼教職員」が解体されることが日本の教育にとってプラスになるか分かりませんし、マイナスになるかも知れません。「国賊左翼教職員」の中にも教師として優秀な人もいるでしょう。そもそも、「国賊左翼教職員」を排除するとはどういうことであり、正常化された教育の全体像がどのようであるかもわかりません。その内容次第では、右翼民族派のいう「正常化された教育」も「日教組・全教の偏向教育」と内容が違うだけで性質が同じものであるかもしれません。その時は同じように「偏向教育」と言いましょう。

「赤き革命集団全教に会場を貸した、和歌山県知事、仁坂吉伸は、即刻、辞職せよーーー!!!(じしょくーーーせよーーー!!!)」毎回恒例の会場を貸与した自治体の首長糾弾です。県知事を糾弾しても何の解決にもなりませんし、会場を貸したのは県知事の意思ではなくただの事務的な処理であろうと考えられます。全教への会場貸与は集会の自由により正当ですし、右翼民族派の街宣も思想の自由により正当なのです。日教組・全教の集会の周辺で右翼民族派の街宣活動という光景は戦後日本における思想の自由の一側面かもしれません。

総じて見ると、過去の演説より内容が具体性・客観性に乏しくなったように感じました。青少年の凶悪犯罪の増加といった事実無根な内容は少なくなったものの、その結果主観が入り込む質的なものに言及するようになっています。また現在の民主党政権と全教を結び付けようとして日教組の問題を強引に持ち出してくるところに右翼民族派の民主党への激しい敵意が感じられました。

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