この日の演説・シュプレヒコール

「・・・この国が好きだからという思いから・・・自分たちの給料を削って、一ヵ月の休みを何日も削って、このような街宣活動を行なっております。・・・九州から、関東から、この神戸に集まってきています。神戸市内では、この街宣車によりたくさんの渋滞が発生して、神戸市民に多大なるご迷惑をおかけしているかもしれません。しかし、私たちも、・・・国際会館が、困るだけ困って、こうした騒ぎを起こしてもらったら困るということで、必死になって、・・・抗議活動をしました。頼むから会場を変えてくれと、中止してくれと、・・・全教組に、交渉したにもかかわらず、全教組の言い分は、一度借りたら勝ちだと、神戸市民に、商店街にいくら迷惑をかけようが私たちには関係ないと、もしも阻止するのであれば、あの高輪プリンスホテルのように紛争するぞと、紛争してまで戦うと、仮処分を受けて集会を強行するぞと、これが学校の教師なんですよ。私たちは、国際会館とも話をし、この商店街の皆様と話をし、それは困る困ると、この商店街の皆さんが騒ぎを起こしてくれるなと、あなたがたが騒ぎを起こさなければ静かなんだと、そういう要請を受けて、私たちは、今回だけは、この神戸だけは、よその開催地と違って、自粛に自粛を重ね、ですからこの1ヶ月2ヶ月、ほとんど街宣車がこの神戸に来ない・・・。自粛に自粛を重ね、全教組と違うんだと、プライドがあるんだと、神戸市民に、迷惑をかけてまで、自分たちのわがままを通さない、・・・残念なことに、明日から、全教組がこの国際会館において、開催することとなってしまいました。・・・」

「やりたくない勉強はしなくていいんだよ、あなたにはその権利がある。権利ばかりを主張させ、そして日本人である義務、人間である義務を放棄させるような教育を行っているのであります。純真無垢な子供たちが、教育現場で、教育の中で、赤い思想、共産思想を植えつけられているのです。その結果、長きに亘る、全教、日教組の教育のたまものが、今に日本人の心の荒廃ではないでしょうか。親が子を殺す、子が親を殺す、学校では、いじめという名の殺戮ゲームが繰り広げられる、このようなことを、このまま許しておいていいはずがありません。・・・」

「全教は、日本共産党のシンパであり、日教組とともに、日本の学校教育を社会主義、共産主義偏向に染めきり、日本民族の歴史を否定し、伝統文化の破壊を画策し、反国家主義を蔓延させてきた、・・・違法集団・亡国集団であります。全教は、日本共産党と共鳴・洗脳され、・・・皇室、天皇に仇なし、・・・君が代、道徳教育にも強硬に反対し、国家敵視の教育を徹底してきました。・・・今日の、若者が自己犠牲の心や奉公の心を持たず、己の利ばかりを求め、人間性が大きく欠落しているのも、道徳教育の欠如からくるものであります。全教や日教組のそうした教育方針は、絶大なる悪影響を与えている、そうした青年たちの精神的退廃は、国家の未来に暗雲をもたらすもので、決して看過することは許されぬ。・・・」

「全教!(ふんさい!)全教!(ふんさい)!」

「会場!!!(かーすな!!!)会場!!!(かーすな!!!)」

いかがでしたか。そして、どう思いましたか。

「しかし、私たちも、・・・国際会館が、困るだけ困って、こうした騒ぎを起こしてもらったら困るということで、必死になって、・・・抗議活動をしました。頼むから会場を変えてくれと、中止してくれと、・・・全教組に、交渉したにもかかわらず、全教組の言い分は、一度借りたら勝ちだと、神戸市民に、商店街にいくら迷惑をかけようが私たちには関係ないと、もしも阻止するのであれば、あの高輪プリンスホテルのように紛争するぞと、紛争してまで戦うと、仮処分を受けて集会を強行するぞと、これが学校の教師なんですよ。」「会場!!!(かーすな!!!)会場!!!(かーすな!!!)」集会を行う側と抗議をする側の立場が逆であったならば、右翼民族派は全教と同じことをしないといえますか。全教あるいは日教組が教研集会を開催したとき、抗議街宣をして市民に迷惑をかけているのは他ならぬ右翼民族派です。なぜ自分たちの行動を棚に上げて、全教や日教組ばかりを非難するのでしょうか。それは問題のすり替えです。そもそも全教や日教組にも集会の自由がある上に、それ自体が市民に迷惑になるわけではありません。その集会を阻止されれば裁判に訴えることは当然です。なぜ裁判に訴えることが悪くいわれなければならないのでしょうか。右翼民族派も全教の教研集会に参加して、自ら意見を戦わせる方が生産的とは思わないのでしょうか。

「私たちは、国際会館とも話をし、この商店街の皆様と話をし、それは困る困ると、この商店街の皆さんが騒ぎを起こしてくれるなと、あなたがたが騒ぎを起こさなければ静かなんだと、そういう要請を受けて、私たちは、今回だけは、この神戸だけは、よその開催地と違って、自粛に自粛を重ね、ですからこの1ヶ月2ヶ月、ほとんど街宣車がこの神戸に来ない・・・。自粛に自粛を重ね、全教組と違うんだと、プライドがあるんだと、神戸市民に、迷惑をかけてまで、自分たちのわがままを通さない、・・・残念なことに、明日から、全教組がこの国際会館において、開催することとなってしまいました。・・・」神戸市民への迷惑を考えて自分たちの主張を取り下げるのであれば、如何なる政治的な示威行動も不可能になりませんか。右翼民族派の街宣活動も市民生活の迷惑になるとわかっているのであれば、全くしないという発想には至らなかったのでしょうか。集会を行うことを「わがまま」といい、市民生活の迷惑となることをしないことが「プライドがある」というのであれば、権力にいかなる弾圧を受けようとも、市民に迷惑になるからという理由で声を上げずに社会から抹殺されることも「プライドがある」というつもりですか。そのような「プライド」など権力にとって都合が良いだけです。

「やりたくない勉強はしなくていいんだよ、あなたにはその権利がある。権利ばかりを主張させ、そして日本人である義務、人間である義務を放棄させるような教育を行っているのであります。」ゆとり教育のことを指しているのかもしれませんが、ゆとり教育はそのようなものではありません。嫌でも勉強させられる内容などいかなる学校でも山ほどあるでしょう。日本国民に権利と義務が生じるのは日本国憲法でも規定されている通りですが、それ以上に何があるのでしょうか。「日本人である義務、人間である義務」とは何を指しているのでしょうか。そもそも、権利が義務を果たした対価としてしか存在しえないのであれば、そのような人権に何の意味がありましょうか。国家が国民の義務を果たしていないと烙印を押せば、押された人はすべての人権を奪われてしまうような社会が素晴らしいですか。

「純真無垢な子供たちが、教育現場で、教育の中で、赤い思想、共産思想を植えつけられているのです。」「赤い思想、共産思想」が何を指しているかはこの際無視します(おそらくその答えは共産主義と大きくかけ離れているでしょうから)。子供たちが純真無垢であることなどありません。多くの子供たちは就学する前に何かしら親の影響を受けているはずです。右翼民族派はたまにその子供に演説をさせていたりしますが、私から見ればこれも一種の「洗脳教育」です。つまり、右翼民族派の望む教育も、日教組や全教が行っている「偏向教育」も、その本質は大差ないものである感じます。ただ理想とする教育内容に右翼民族派と教職員組合の間で大きな隔たりがあるだけです。

「その結果、長きに亘る、全教、日教組の教育のたまものが、今に日本人の心の荒廃ではないでしょうか。親が子を殺す、子が親を殺す、学校では、いじめという名の殺戮ゲームが繰り広げられる、このようなことを、このまま許しておいていいはずがありません。」いじめも殺人も放置しておいてよいはずがありませんが、それらはすべて日本人の心が荒廃しているからでしょうか。また、すべての原因を全教、日教組に求めることはいささかに乱暴な議論ではありませんか。そこには政治なり経済なり、様々な事象があるはずです。そもそもこれを主張している右翼民族派は「全教・日教組の教育」からどのように逃れたのでしょうか。このようなことを主張している右翼民族派の心が荒廃していない保証はどこにもありません。

「全教は、日本共産党のシンパであり、日教組とともに、日本の学校教育を社会主義、共産主義偏向に染めきり、日本民族の歴史を否定し、伝統文化の破壊を画策し、反国家主義を蔓延させてきた、・・・違法集団・亡国集団であります。」全教が共産党のシンパであることは否定しませんが、「社会主義、共産主義偏向」の教育とはどのようなものでしょうか。まさか日教組が推し進める教育はすべて「社会主義、共産主義偏向」というのではないでしょうね。日教組がいつ日本民族の歴史を否定し、伝統文化の破壊を画策したのでしょうか。「自虐史観」のことを述べているのだとすれば、それに何か問題があるのでしょうか。侵略戦争をした国家に対し「国家意識」や「民族意識」を持つことはできないのでしょうか。侵略戦争をした国家だから「国家意識」や「民族意識」を持つことはできないというのは、それこそ右翼民族派の言う「大東亜戦争」における「東亜解放の精神」に反するのではないでしょうか。日本が一時期侵略国家であったことは否定することができません。中国をはじめアジア各地を日本と同化させようとした、その罪を否定することはできません。その罪を包容してこそ真の「愛国心」や「国家意識」というものが生まれるのではないでしょうか。私もそうでした。中学生のころは、このような侵略をしておいて、賠償も碌に行わない、日本などという国家は滅んでしまえ、とまで思っていました。しかし、時がたつにつれて、さまざまな経験を重ねるうちに、このような国家でも、この国の文化も好き、伝統も好きだから、この国を少しずつ良くしたいと思うようになりました。いかなる国でも、その歴史すべてが輝かしい歴史であることはないのです。ドイツ然り、イギリス然り、フランス然り、イタリア然り、中国や韓国も例外ではありません。国家の罪を認め、その罪に向き合ってこそ真の愛国心そして国家意識、民族意識が生まれるのではないのでしょうか。愛国心のために罪を隠蔽し美化することこそ、ある種の「自虐」であり、「反国家教育」ではないのでしょうか。罪を隠蔽しなければ得られない愛国心にどれほどの価値があるのでしょうか。数千年の日本の歴史からみればたった数十年の間に起こったに過ぎない出来事を否定的に見られただけで日本民族の歴史そのものを否定されるのだとすれば、日本民族とはどれほど惨めな民族なのでしょうか。

「全教は、日本共産党と共鳴・洗脳され、・・・皇室、天皇に仇なし、・・・君が代、道徳教育にも強硬に反対し、国家敵視の教育を徹底してきました。」特に天皇に仇なす教育をしていたでしょうか。現在の日教組は日の丸・君が代の強制を否定しているのであって、日の丸・君が代そのものを否定しているわけではありません(中にはその歴史的意味から日の丸と君が代そのものに派に反対している人もいますが)。日の丸・君が代問題で学校の卒業式が混乱することはいささか納得できないことではありますが、日教組や全教は日の丸掲揚・君が代斉唱を否定することが即座に日本国家を否定することに帰結するような自由のない社会を恐れているのです。右翼民族派はそのような恐れがないことを証明しなければなりません。

「今日の、若者が自己犠牲の心や奉公の心を持たず、己の利ばかりを求め、人間性が大きく欠落しているのも、道徳教育の欠如からくるものであります。」自己犠牲の精神や奉公の精神は自発的に発揮することに意味があるのであって、それを他人に強要する行為もまた人間性が欠落している行為だといえるのではないでしょうか。他人を自分の同質の人間としか見ることができていないのですから。言い換えれば、何のために自己犠牲や奉公の精神を発揮するのかを忘れて、自らの価値観を他人に押し付けることしかしていないのです。そのような人間の望む道徳教育など、その延長上にしかないでしょう。それは彼らの言う「偏向教育」と何が違うというのでしょうか。

「全教や日教組のそうした教育方針は、絶大なる悪影響を与えている、そうした青年たちの精神的退廃は、国家の未来に暗雲をもたらすもので、決して看過することは許されぬ。」右翼民族派がこのような内容の街宣活動を行っているのもまたその全教や日教組の教育方針の悪影響の一例なのでしょうか。日教組や全教の視点から見れば、右翼民族派の望む教育こそ「国家の未来に暗雲をもたらすもの」と映るに違いありません。

総じて見ると、右翼民族派の主張は彼らの言う「偏向教育」と本質的には大差ないのではないかと思えます。「自虐史観」にせよ「自由史観」にせよ、内容は違えど子供たちに押し付けるという本質は変わりません。むしろ道徳教育などの側面から見れば右翼民族派の方が純真無垢な子どもたちに「極右思想」を植え付けているようにみえます。また、右翼民族派の方々から学生時代の話を伺うと、あまり素行が良くなかったという話が多くあります。学校生活からドロップアウトした者たちが自らを正当化する根拠が「日教組・全教の偏向教育」であるとすれば、それは何と悲愴なことでしょうか。

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