この日の演説・シュプレヒコール

「良識ある国民の皆様、私達は混迷する日本の将来を憂い、独立国家としての絶対要件であ­る国家主権の重要性を国民の皆様が再認識することに依って、祖国日本の再生を図るべく世­論喚起を促しております。・・・今から六十年前の昭和二十七年四月二­十八日、大東亜戦争における講和条約が発効し、日本は七年間の長きにわたる米国による軍事占領が終了し、晴れ­て独立国家として新たな道を歩みだした日であります。しかし、現在の我国は七年間の屈辱に堪え抜いて漸く復帰を遂­げた国際社会において、果たして独立主権国家としての実績と名誉を保ち得たといえるでしょうか。良識ある国民­の皆様、未だに占領憲法に牛耳られ、米国の占領下におかれている我が国が、やっとこの日を主権回復、国際社会復­帰を記念する式典を政府主催で開催する事になりました。この式典には、畏れ多くも天皇皇后両陛下が御臨席遊ばされ­ます。今回の式典をきっかけに真の独立国家としての主権を回復すべく、占領憲法を破棄し、自国の国は自国で守る皇軍を建軍し、皇国日本の再建を目指していこうではありませんか。」
 「占領憲法を破棄し、我が国の主権を取り戻そうーーー!!!(とーりもどそーーー!!!)」
 「東京裁判による自虐史観を払拭せよーーー!!!(ふっしょくせよーーー!!!)」
 「皇軍を建軍し、自国の領土、領海、領空は自国で守ろうーーー!!!(まもろーーー!!!)」
 「主権国家、独立国家皇国日本再建に立ち上がろうーーー!!!(たーちあがろーーー!!!)」

いかがでしたか。そして、どう思いましたか。

「良識ある国民の皆様、私達は混迷する日本の将来を憂い、独立国家としての絶対要件である国家主権の重要性を国民の皆様が再認識することによって、祖国日本の再生を図るべく世論喚起を促しております。」確かに国家主権というものは大切ですが、国家主権というものの意味はよく考えるべきではないでしょうか。国家が領土・国民を軍事的に保護することだけが国家主権の意味ではないはずです。

「・・・今から六十年前の昭和二十七年四月二十八日、大東亜戦争における講和条約が発効し、日本は七年間の長きにわたる米国による軍事占領が終了し、晴れて独立国家として新たな道を歩みだした日であります。」195198日、サンフランシスコ講和条約が締結され、翌年428日に発効しました。同時に日米安全保障条約が発効し、事実上アメリカの軍事的属国になることが決定しました。7年間のGHQの占領下において日本人が得たものとは何であったのでしょうか。アメリカ軍や自衛隊に限らず軍事力と平和を盲信する偽りの国家主権と政治家を盲信する偽りの民主主義ではないでしょうか。現在も国民の性質は、天皇を「現人神」として崇拝していた時代と何も変わっていないのではないかとさえ思えます。

「しかし、現在の我国は七年間の屈辱に堪え抜いて漸く復帰を遂げた国際社会において、果たして独立主権国家としての実績と名誉を保ち得たといえるでしょうか。」確かに日本が独立主権国家としての名誉を保ちえているかどうかは甚だ疑問です。日本政府は自らの国家運営について何一つ自国で理性的な判断を下せていません。アメリカにひたすら忍従するか、空気に流されるかのどちらかでした。それを変えられるかどうかは今後にかかっています。

「良識ある国民の皆様、未だに占領憲法に牛耳られ、米国の占領下におかれている我が国が、やっとこの日を主権回復、国際社会復帰を記念する式典を政府主催で開催する事になりました。」この運動の趣旨では、政府主催の式典の正当性については無視するということでしたが、私はこの式典に対して大いに異議を唱えます。未だアメリカに軍事的にも政治的にも統制されているにもかかわらず、国民に対してだけ表面的に主権国家であることを取り繕おうとする、卑劣な式典であると私は認識しています。現在の日本国憲法にしても、このまま改正に向かえばさらにアメリカへの従属が強まる本当の「占領憲法」となってしまいます。自由のない占領憲法より、自由の占領憲法の方が良いのは当然ではないでしょうか。

「この式典には、畏れ多くも天皇皇后両陛下が御臨席遊ばされます。」この式典に天皇陛下に臨席させること自体が、自民党による天皇陛下の政治利用です。3年前、習近平国家副主席(当時)と天皇陛下が会談をしたとき民主党を天皇の政治利用と非難したのは自民党ではありませんか。3年前と言っていることと行っていることが違いませんか。今回の式典における安倍晋三内閣の行為は、政治どころか自らのイデオロギーのために天皇陛下を利用しようとしている、極めて悪質な行為と断言せざるを得ません。沖縄県を含む都道府県知事にも多数の欠席者がおり、沖縄県では反発の声が大きいにもかかわらず強行された式典において、天皇皇后両陛下は何をお考えになったでしょうか。式典の最後において、「天皇陛下万歳」が叫ばれました。浮かない表情をしていた天皇皇后両陛下は、その光景をどのような思いでご覧になったのでしょうか。

「今回の式典をきっかけに真の独立国家としての主権を回復すべく、占領憲法を破棄し、自国の国は自国で守る皇軍を建軍し、皇国日本の再建を目指していこうではありませんか。」「占領憲法を破棄し、我が国の主権を取り戻そうーーー!!!(とーりもどそーーー!!!)」「皇軍を建軍し、自国の領土、領海、領空は自国で守ろうーーー!!!(まもろーーー!!!)」日本国憲法の守ることも、ある意味では日本の自主独立をかけた選択ではないかと思います。軍事力によって国を守るというのは簡単です。その威勢の良い掛け声だけが日本社会に蔓延しているようにも思えます。しかし、何のために(国軍・皇軍を問わず)「軍隊」を創設するのでしょうか。何を想定しての国防なのでしょうか。国土を守る気概を示すというだけならば、軍隊どころか自衛隊すら本質的には不要なのです。その問いが現状において抜け落ちているように思えます。仮に「皇軍」の目的が天皇陛下を守るためというのであれば、日本国民の命など紙切れより軽いことになります。それでは国土を守ることはできても国民生活を破壊するだけで、天皇陛下もそれを望んではいないはずです。

「東京裁判による自虐史観を払拭せよーーー!!!(ふっしょくせよーーー!!!)」歴史史観をただすというような言説を論じるとき、ある論理的自己矛盾が起こります。その歴史史観からの脱却について論ずるとき、その歴史史観の存在を意識せざるを得ないのです。右翼民族派は「東京裁判史観」にとらわれた歴史史観にとらわれるなと言いますが、そう主張する人も結果として「東京裁判史観」にとらわれているということです。もしかすれば、「東京裁判史観」にもっともとらわれているのは、偏向教育を行う教師でもなく、歴代の政府・内閣でもなく、「東京裁判史観」の粉砕を主張する右翼民族派そのものかもしれません。仮に「東京裁判史観」から脱却したいのであれば、東京裁判史観の存在を無視したうえで、新たな歴史観を提唱する必要があるでしょう。しかし、それを広める過程で「東京裁判史観」との衝突は避けられません。このように見ると、いかなる日本人も東京裁判というものから逃れることはできないのではないか、と考えられます。

総じてみると、主権回復の日に関する話題に集中していてそこに隣接する問題にあまり深くは追及していないように思われました。国民は国家主権の意味を深く考える必要があります。国家の三要素は「主権・国民・領域」であり、軍隊は含まれていません。国家が主権と領域を守ることに固執して、国民に害を与えるのは本末転倒なのです。また、本来国家と国民は対等の立場にあり、憲法とは国の根幹をなす法であると同時に国民と国家の関係を取り決め、国家権力を制限するものです。しかし、それを理解している政治家は、現在あまり国会にいないように思われます。

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