この日の演説・シュプレヒコール

「本日211日は、建国記念の日であります。私たちは211日の建国記念の日を正統の紀元節と復称し、政府主催の奉祝式典を開催し、国家行事としていただくことを目的とした、奉祝行進であります。そもそも、明治天皇は、神武天皇が即位されました日を、太陽暦に換算した211日を紀元節と定められ、我が国が肇国の功を振り返り、神武天皇の御威徳を偲び、天皇の大詔のもとに民族が一致団結し、より良き国造りに進みゆくことをお誓いする祭日とされたのであります。しかしながら、この紀元節は、昭和20815日の終戦と同時に、我が国に進駐した米国を中心とするGHQの占領政策により廃止されました。我が国は神々の生み給うた神国であり、天皇の治め給う皇国であります。占領政策の災禍により、年を追うごとに希薄になりつつある民族精神を再び強固にし、全国民一致団結せずんば、いかに軍備をそろえようとも、いかに富める国になろうとも、その繁栄は一瞬の栄華に終わることでしょう。よって私たちは、現行の建国記念の日を正統の紀元節と復称し、この祭日には、橿原神宮にて勅使御参向のもとに斎行されます紀元節の奉祝式典を、政府主催の国家行事として、内閣総理大臣以下国政の中枢にある者をはじめ、心ある多くの国民が参列し、神武天皇の御神霊に報恩感謝の誠を捧げ、建国の大精神を継承し、・・・新たな紀元節復興を目指すべく、啓発運動を継承することを目的とした、奉祝行進であります。・・・」

「歴史・伝統を破壊する祝日法を改正せよ―ーー!!!(かいーせーせよーーー!!!)」

「神武建国の精神に立ち返り、紀元節を復興せよーーー!!!(ふっこーせよーーーい!!!)」

「日本国万歳ーーー!!!(ばんざーーーい!!!)」

「紀元節万歳ーーー!!!(ばんざーーーい!!!)」

「天皇陛下萬歳ーーー!!!(ばんざーーーい!!!)」

いかがでしたか。そして、どう思いましたか。

私たちは211日の建国記念の日を正統の紀元節と復称し、政府主催の奉祝式典を開催し、国家行事としていただくことを目的とした、奉祝行進であります。」建国記念の日は古事記や日本書紀などの神話を基にしたものです。神道を信仰していない限りこの日の所以はなじみが薄いのではないでしょうか。戦前期までのように国家神道を信奉することが半ば強制であった時代とは異なり現代には信教の自由があります。日本政府が神道に深く結びついている行事を主催することは信教の自由と政教分離を大きくゆがめてしまいます。

そもそも、明治天皇は、神武天皇が即位されました日を、太陽暦に換算した211日を紀元節と定められ、我が国が肇国の功を振り返り、神武天皇の御威徳を偲び、天皇の大詔のもとに民族が一致団結し、より良き国造りに進みゆくことをお誓いする祭日とされたのであります。しかしながら、この紀元節は、昭和20815日の終戦と同時に、我が国に進駐した米国を中心とするGHQの占領政策により廃止されました。我が国は神々の生み給うた神国であり、天皇の治め給う皇国であります。」神武天皇から9代目までは実在の可能性が薄いとされています。そして日本形成の歴史は天皇に率いられた大和が他の部族を征服していく過程にほかなりません。天皇陛下を中心に団結する国体というのも大和朝廷(ひいては国家権力)に都合の良いように作られたものです。大日本帝国の崩壊とともにもはや天皇陛下を中心に団結する日本民族という素朴な図式は崩壊しています。現代の天皇は「君臨すれど統治せず」です。次の文とも関連しますが、GHQが日本の伝統や文化、民族精神を破壊しているというならば、戦後体制のもとに生まれ育った大半の右翼民族派が持っている「民族精神」は本来日本に存在するという民族精神と同一のものといえますか。私にその二つが一致しないことを批判する気はありません。ただ、伝統や文化、民衆の精神とは時代に応じて変化していくものであって、絶対に変化しないものではないと考えられます。それ故に勝手にそれらを絶対的なものを定義してそれを他者に押し付けるのは傲慢でしかありません。

占領政策の災禍により、年を追うごとに希薄になりつつある民族精神を再び強固にし、全国民一致団結せずんば、いかに軍備をそろえようとも、いかに富める国になろうとも、その繁栄は一瞬の栄華に終わることでしょう。」グローバル化し、人間の移動が激しい現代において、ここでいう「民族精神」とは誰に対して訴えているものなのでしょうか。もはや古代から日本列島に住んでいる日本人ばかりではないのです。新しい時代には単なる偏狭な島国根性丸出しの「民族精神」復興ではなく、新しい「国民精神」の創造が必要です。

よって私たちは、現行の建国記念の日を正統の紀元節と復称し、この祭日には、橿原神宮にて勅使御参向のもとに斎行されます紀元節の奉祝式典を、政府主催の国家行事として、内閣総理大臣以下国政の中枢にある者をはじめ、心ある多くの国民が参列し、神武天皇の御神霊に報恩感謝の誠を捧げ、建国の大精神を継承し、・・・新たな紀元節復興を目指すべく、啓発運動を継承することを目的とした、奉祝行進であります。「神武建国の精神に立ち返り、紀元節を復興せよーーー!!!(ふっこーせよーーーい!!!)」さきほどにも書いたとおり国が主催しては政教分離に反します。内閣総理大臣以下国政の中枢にある者が紀元節奉祝式典に参加すれば、「あるべき日本国民像」を国家が国民に強要するだけでなく、それに従わないものを排除することになりかねません。皇室が関わってくるという問題があるとしても、建国記念の日に行うのは現在の勅使御参向のもとの神事で良いのではないのでしょうか。そもそも右翼民族派の言う「建国の大精神」とは一体何なのでしょうか。それは右翼民族派にとって「左翼を罵倒する道具」以上のものとなりえますか。

「歴史・伝統を破壊する祝日法を改正せよーーー!!!(かいーせーせよーーー!!!)」たしかに祝日の背景を考慮せず安易に休日を増やしたいがための祝日法改正には反対です。しかし、架空の神話に基づく明治時代に人工的に作られた祝日を復興させることにも反対です。建国記念の日は大日本帝国のもとで天皇と国体の名のもとに国民への弾圧が行われた歴史を振り返り、思想や信条、信教の自由の重要性を再認識する日と私は考えます。

総じてみると、何も考えずに聞いていると何となく納得してしまう話です。しかし、明治から昭和戦前期にかけて天皇や国体の美名のもと数多くの国民が弾圧を受けたことを忘れてはなりません。紀元節を復興することはそのような歴史に何も学ぶことなく無批判に大日本帝国を肯定することになるだけでなく、現在の日本国が「あるべき日本国民像」を国家が国民に強要するだけでなく、それに従わないものを排除することになります。建国記念の日に、神武天皇の足跡をはじめとする日本の神話に触れてみるのも良いですが、歴史を振り返り、自由権の大切さを再認識することも重要です。

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