戦後65年、韓国併合から100

 19108月、大韓帝国が韓国併合条約により日本に併合され、以降1945年まで法的には日本の領土となりました。そして、今年は併合から100年となります。官直人総理大臣は810日に談話を発表し、「政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられ」たとし、この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」しました。一方、補償問題に関しては一切言及されず、1965年の日韓基本条約で解決済みとする方針を維持しました。1995年の村山・河野談話と同様に、この談話に対しても、民主党、自民党の一部の国会議員から反発する声が上がっています。812日には自民党の佐藤正久参議院議員や無所属の城内実衆議院議員が参加して「日韓併合百年『首相謝罪談話』を許さない緊急国民集会」が行われました。

 その決議文を読みました。読んで気になったことを書きます。日韓併合条約は「両国政府の合意の上に締結され、かつ列国から承認され、また今日においてもその国際法上の有効性は世界の学者から認められている。戦後、我が国と韓国との間では、昭和40年(1965年)に日韓基本条約及びそれに伴う日韓請求権並びに経済協力協定が結ばれた。」とありますが、どうやら当時の国際法に照らして問題がなかっただけのようで、現在も有効であるとは判断できません。そもそも、日韓基本条約を認めるのであれば、現在では日韓併合条約以前の条約は無効です。それ以前に、本当の意味での日韓両国の合意はあったのでしょうか。1904年、当時の韓国(大韓帝国)は日韓議定書により、日本軍の朝鮮半島での軍事行動を認めており、第一次日韓協約で日本が推薦する外交・財政顧問を置かなければなりませんでした。さらに1905年の第二次日韓協約で外交権を剥奪されました。そして韓国統監府が設置され、反日闘争が激化しました。1907年の第三次日韓協約では韓国軍が解体され、義兵闘争が激化しました。これを鎮圧するために動員された軍や憲兵との衝突は併合までの4年間で少なくとも2000回以上に上り、述べ10万人以上の義兵が参加し、このうち17000人以上が死亡しました。これで韓国国民の合意がありうるのでしょうか。本当に韓国国民の合意があるならば、反日闘争も起きなかったはずですし、朝鮮半島全体で数百万人が参加したといわれる1919年の三・一独立運動も起きなかったはずです。韓国統監府初代統監伊藤博文はもともと韓国併合反対の立場であり、韓国の保護国化のみを行うことを考えていましたが、義兵闘争により併合賛成へと変わり、19096月に統監を辞職しました。安重根(アン・ジュングン)が同年10月に伊藤博文を暗殺しましたが、これがなくても韓国併合は行われていたでしょう。列国の承認も、1905年の桂・タフト協定(日本がアメリカのフィリピンの支配を認める代わりに、アメリカは日本の韓国保護国化を認める)、同年の第二次日英同盟協約(日本がイギリスのインド支配を認める代わりに、イギリスは日本の韓国保護国化を認める)、同年のポーツマス条約(日露戦争の結果、ロシアは日本の朝鮮半島における優越権を認める)など、利害関係が成立する限り成り立つ、帝国主義のエゴに根差したものでしかありませんでした。形式上双方の合意は存在したかもしれませんが、国力的にも国際的にも孤立無援の状態に追い込んだうえでの同意など、何の意味がありましょうか。

 「朝鮮統治時代に朝鮮の近代化と発展のために日本が最大限の努力をした事実や、日韓基本条約締結時を含め以後の日本の莫大な援助が韓国の経済発展の基礎になった事実を全く無視している。」とありますが、近代化が朝鮮半島の人々のためであったかは甚だ疑問です。日本にとって都合が良かったから、近代化を行ったにすぎないのではないでしょうか。そもそも、本音としては、様々な右派系のサイトで書かれている通り、「朝鮮人は日本の力があってこそ近代化できた。」「文明的に遅れていた朝鮮人を日本が近代化した」というものでしょう。それは「野蛮人に文明を教えてあげる」という西洋の「白人帝国主義」の根底にあるものと同質のものではありませんか。「朝鮮人は日本の力があってこそ近代化できた。」「文明的に遅れていた朝鮮人を日本が近代化した」と思っているのであれば、「大東亜戦争」で日本は「白人帝国主義」と戦い、アジアを解放したなどと主張することは止めていただきたいものです。列国の承認の記述にもあるように、韓国併合時の日本は、ただ「列国」と同じ立場になりたかっただけであり、そこに「東亜解放の精神」など微塵もなかったということですから。

 また、この談話は「過去現在未来の日本国民を侮辱・愚弄すると同時に、朝鮮半島諸勢力にはその期待に応える振りをしてはぐらかすものであり、日韓双方に国民的憤激を巻き起こし、相互の軋轢を激化させるものである。」という記述がありました。確かに発表された談話は表現を慎重に選んでおり、政治問題化することを避けた印象を受けました。しかし、韓国併合の歴史が朝鮮半島侵略の歴史でないとすることが「過去現在未来の日本国民を侮辱・愚弄する」ことなのでしょうか。今回の談話にも書かれている通り、自国の歴史の良い部分も悪い部分(そう簡単に、はっきりと分けることはできませんが)も受け入れ、それを踏まえて現在・未来を生きることにこそ、未来的・友好的な日韓関係があるのではないでしょうか。そして、未だに形だけの謝罪と補償しか行っていないから、未だに謝罪と補償が問題になるのではないでしょうか(この話題についての私の主張は戦争補償問題を参照)。そもそも、決議文に書かれている朝鮮半島諸勢力は具体的に何を指すのでしょうか(私見では民団や従軍慰安婦関係の団体などを指しているように見えます)。外国人参政権で日本が中国や韓国に侵略されるといった類の、稚拙な陰謀論が見え隠れするのは気のせいでしょうか。

 その後、「両国関係は、いわゆる「歴史認識」から独立していなければならない。両国関係を特定の「歴史認識」によって基礎づけることは、いずれか一方の歴史認識を相手に強要することになる。」と書かれています。つまり、決議文に書かれている「歴史認識」からも独立しているのですね(ここでの意図としては、「歴史認識」とは韓国の歴史認識と国内の「自虐史観」を指しているのでしょうが)。そうであるならばある程度の筋は通りますが。それ以前に、日本の侵略を受けた韓国に対して、外交関係が歴史認識から独立していなければならないとは、旧宗主国側の勝手な理屈ではありませんか。支配していた日本はそれで済むかもしれませんが、日本に植民地支配されていた朝鮮半島の人々の思いは、そう簡単には晴れません(韓国の権力側がそれを意図的に利用しているところもありますが)。

 今年は1945815日に玉音放送が流され、日本の民衆が敗戦を知ってから65年に当たる年でもあります。815日、管内閣では全閣僚が靖国神社に参拝しませんでした。一方、自民党では谷垣禎一総裁、大島理森幹事長、安倍晋三元総理大臣らが参拝しました。超党派の国会議員で構成される「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の議員も靖国神社に参拝しました。安倍晋三元総理大臣は「閣僚の自主的判断ではなく、首相が決めた方針なら『信教の自由』から問題があるのではないか」と言いました。菅内閣に靖国神社に参拝したい閣僚がいたのでしょうか。いなければ信教の自由上問題はありません。安倍晋三元総理大臣にしても、総理大臣在任中の815日に靖国神社に参拝しなかったではありませんか。閣僚の「信教の自由」を主張するのであれば、在任中でもかまわず靖国神社に参拝すればよかったのではありませんか。そのような中途半端に「信教の自由」を主張する人が他人の「信教の自由」に言及する資格はありません(私の主張は歴史問題靖国神社問題を参照)。

 最後に、朝鮮半島で日本の植民地支配の犠牲となられた方々と第二次世界大戦で亡くなられたすべての方々に哀悼の意を表明するとともに、この日を契機にアジア諸国の友好がさらに深まることを祈ります。

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