戦後70年に際して

 今年は1945815日に玉音放送が流され、日本の民衆が敗戦を知ってから70年に当たる年です。815日、安倍内閣では高市早苗総務大臣、山谷えり子国家公安委員長、有村治子女性活躍・少子化担当大臣が靖国神社に参拝しました。一方、安倍晋三総理大臣は萩生田光一総裁特別補佐官を通じて私費で玉串料を納めました。

その前日、戦後70年に際しての安倍談話が発表されました。これは閣議決定を経ない私的な談話として発表されましたが、これまでの立場を継承する点に関して欧米諸国からの一応の歓迎を受けました。一方で中国、韓国は反発しています。

実際の談話を見てみると、戦争に関してどこまでも他人事で、かつて当事国であったという意識が欠けているように読めました。

 「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」これは直接戦後70年には関係なく、日本が世界の列強に肩を並べていく過程を述べただけの自慢話です。ヨーロッパの列強諸国が世界を席巻していく中で、日本も「脱亜入欧」のもと同じように帝国主義に傾倒し、台湾や澎湖諸島、そして朝鮮半島を植民地化していきました。その過程において日露戦争においてアジア諸地域に与えた希望は失望へと変わっていっただけでなく、宗主国として植民地の人々を踏みにじりました。その意識は「日本は朝鮮半島のインフラを整え、近代化した」などという言説に今も残っているのではないでしょうか。

「世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。」第一次世界大戦中には日本も連合国として参戦し、戦死者を出しています。そして権益を強固なものにすべく中国に二十一か条の要求を突き付け、認めさせました。また朝鮮半島の独立運動を弾圧し、強圧的な植民地経営を続けていました。世界史の民族自決の精神やヴェルサイユ体制について俯瞰するのであれば、これらのことに関して日本政府の総理大臣として何か考えるところがあったのではないでしょうか。

「当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。そして七十年前。日本は、敗戦しました。」後の文章につながってくるのですが、まるで列強諸国が悪いといわんばかりの内容です。もちろん世界恐慌時における列強諸国のブロック経済政策は貿易を滞らせ、日本やイタリア、特に過酷な賠償金を課せられたドイツなどの植民地を持たない国々を圧迫しました。日本は「満蒙は日本の生命線」として大陸を侵略し、そこから収奪することで解決しようとしました。満州事変ののち建国された満洲国もその一つです。日本は同じ道を歩んでいたナチス政権下のドイツやファシスト党支配下のイタリアとともに枢軸を形成し、1937年の日独伊三国防共協定、1940年の日独伊三国同盟として結実します。関係の深化に伴い枢軸国は1937年の日中戦争、1939年の第二次世界大戦、1941年の太平洋戦争と全世界に戦火をまき散らし、世界史上類を見ない悲劇を現出させてゆくのです。虐殺、強姦、占領地の強圧的な支配・・・あげれば到底この場で語りつくすことができません。談話中、満州事変からの具体的な事象がすべて省かれ、いきなり敗戦について述べられていますが、そこまでに殺し、殺された数多の人々の存在を顧みることはあるのでしょうか。

「戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。」ここまでの文章の中で、日本(大日本帝国政府)という主体がどのようにかかわっているのかが全く見えません。まるで戦火で多くの命が奪われたことと当時の日本政府が無関係であるかのような表現です。大日本帝国政府が、何の計画性も哲学も信念もなく、ただ力による植民地からの収奪で経済危機を打開しようとして多くの日本国民を戦場に送り込み、多くの兵士の命を散らせたのです。兵士たちは必ずしも祖国を憂いて自ら戦場に向かったわけではありません。戦局が悪化すると無根拠な精神至上主義により無謀な戦争を続け、銃後にいる多くの国民を犠牲にしました。広島・長崎への原爆投下、東京や大阪などの都市への無差別爆撃などもその一部に過ぎません。日中戦争や太平洋戦争の戦場となり、植民地同然の支配を受けたアジア諸国でも、日本軍に殺された非戦闘員や、日本軍の徴発により苦しめられた人々がたくさんいました。そのような方々のことが上記の文章には念頭に置かれているのでしょうか。そしてそのような事態をもたらした日本の植民地主義とそれに基づく侵略戦争に対する反省の姿勢をこの文章から伺うことはできません。

「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。」「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち」という表現の中に従軍慰安婦のことに言及したことにしたいのでしょうが、これでは他の女性との区別がつきません。何よりも日本がその行為に主体的にかかわってきたという意識がまるで感じられません。元従軍慰安婦の方だけ特別扱いせよという気はありませんが、この談話は一般論の中に具体的な事象をすべて収斂しようとする表現が多く、具体的な事象に対する責任を薄めようとしているように読めます。

「これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。」多くの屍の上に現代の日本があることは否定しませんが、植民地主義と戦争に対する反省と戒めのもと、軍事に国内のリソースをあまり割かなくてよい日本国憲法を基本とした政治があったから日本は経済大国へと成長したのです。もっとも、日本国憲法を基調とした民主主義が現在の安倍内閣を作り出したのは皮肉ともいえますが。

「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。」言っていることは間違っていないのですが、日本がその侵略を主体的に行ったという歴史的事実が、ここに反映されているといえるでしょうか。そもそも安倍晋三本人は、過去に「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」などと発言していたではありませんか(実際には国連の総会決議できちんと定義づけがなされています)。それともあとから侵略の定義について学んだのでしょうか。このことを考慮すると単に批判されたくないから加えただけという印象が拭えません。

「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。」日本が第二次世界大戦に枢軸国として積極的にかかわってきたにもかかわらず、ここまで日本の立ち位置を明確に示していないため、何に対する悔悟の念なのかよく理解できません。はたして日本は本当に「自由で民主的な国」になったのでしょうか。日本国民は、大日本帝国の時代から、国家に支配される臣民という意識から未だ抜け出せていないのではないでしょうか。それが今、海外での武力行使を可能にするどのように解釈しようが憲法違反になる法律を国会で成立させようとしている現状の土台となっているのではないでしょうか。ここに書かれている表現も、単なる自画自賛に見えます。

「ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。ですから、私たちは、心に留めなければなりません。戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。」「ですから」の前後のつながりがおかしいうえに、前の文章にもまして自画自賛の傾向が強まっています。私たちがいくら反省の意を示しても戦争被害者の持つ苦しみの記憶は消えないのだから、日本にとって都合のよい方々のことだけ記憶にとどめておけばよいという思い上がりも甚だしい内容です。戦地からの引揚者が日本の復興を助けたことや中国残留孤児が日本に帰って来られたこと、元捕虜の方々の好意を否定することはできません。しかし、言うまでもなく、すべての方々がこの談話で述べられているような心情を抱いているわけではありません。国の復員命令を無視して植民地の独立のため闘い続けた日本兵の方もいますし、中国残留孤児の中には中国でも日本でも苦しい思いをした方もたくさんいます。そのような方々を意図的に無視することは許されないことです。ましてや自らの都合の良いように戦争被害者の方々を引き合いに出して日本政府の怠慢の免罪符にしようとするのは醜いという表現で言い表せません。

「寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。」いまだすべての戦争被害者との完全なる和解は達しておりません。戦争の禍根について和解のために力を尽くした国々や人々に謝意を示すことを忘れてはなりませんが、同時に日本が引き起こした侵略戦争により多くの人々を苦しめ、死に至らしめたことを忘れずに語り継いでいかなくてはなりません。

「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」この談話の中でもっとも批判されている部分の一つです。たしかに私を含め今や日本国民の大半は戦争を知りません。そうした日本国民一人ひとりに戦争責任があるわけではありません。しかし、大日本帝国とそれを受け継ぐ日本国家としての戦争責任はあります。戦争責任を認め、真摯に謝罪と反省をし、その誠意を行動で示すことは重要です。後半の内容自体は否定しませんが、安倍総理自身にその受け継ぐべき過去の歴史は受け継がれているのでしょうか。私たちの世代は戦争に何も関係ないから日本の戦争責任は関係ないというのでは通用しません。

「私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。」これらの内容のほかに、忘れてならないことは、たとえそれがアメリカ軍に守られているからこそ存在しえた虚構であったとしても、日本国憲法に謳われた平和主義のもと、多くの日本国民が戦争による殺戮と恐怖から解放され、毎日の日常を懸命に生きることができたことです。経済成長を成し遂げ、世界有数の経済大国となった現在の日本の責務は、大日本帝国の犯した植民地主義に基づく侵略と搾取、虐殺の歴史を真摯に反省し、互いを尊重し合える平和な世界を作る一翼を担うことです。この談話全体で日本がどのような立場でどのような立ち回りをしてきたかが不明確にしか言及されていませんが、安倍総理大臣が胸に刻む「歴史の教訓」とは一体何なのでしょうか。大国に逆らわないことでしょうか。

「私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。」後半で言っていることは間違っていないのですが、前半の文章から鑑みるに、安倍総理大臣が得た「歴史の教訓」とは、他国を侵略し、搾取し、虐殺を行うことが最悪であるということよりも、大国の作り上げた世界秩序に武力で逆らわないことであるようです。そもそも、平和的と言いながら自衛隊による海外での武力行使を可能にする法案を今年の国会で成立させようとしている総理大臣がこのようなことを守れるのでしょうか。

「私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。」前述したことに関連して、従軍慰安婦の方々などの具象がこうして抽象化されてしまっていることが戦争責任の認識を後退させてしまっているように見えます。その後の「女性たちの心に常に寄り添う国」とは、一体どのような国なのでしょうか。安倍総理大臣の周りには、高市早苗総務大臣、山谷えり子国家公安委員長をはじめとして男性以上に男性の価値観を信奉する女性たちばかりのようにも感じるのですが、どのような国となるのでしょうか。

「私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。」冒頭の歴史でもふれたように、世界恐慌時に大国が植民地に頼ったブロック経済政策に走ったことで日本が戦争に走らざるを得なくなったという言いたげな内容です。それだけが原因ではありません。ここにも日本の戦争責任を回避したい意図が表れています。ここで述べている国際経済システムとは環太平洋国際パートナーシップ協定(TPP)のことですか。これも広い意味でのブロック経済と呼べるものです。矛盾していませんか。

「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。」これもこの談話の中で最も批判されている部分の一つです。自らの主張する「積極的平和主義」を戦後70年の戦争責任を総括する談話において宣伝しているのですからあらゆる戦没者の御霊を政治利用しているといえます。安倍総理大臣は「積極的平和主義」のもと集団的自衛権を容認し、強引に安保法案を国会で成立させようとしています。「積極的平和主義」とは貧困や飢餓といった問題(構造的暴力)が社会正義によって解決された状態を目指すものです。安倍総理大臣の言う「積極的平和主義」とは飢餓や貧困を解決しないばかりか、むしろ世界各地に積極的に戦火をもたらし、「消極的平和」さえ犯す可能性すらあるのです。これほどずれたことを平気で国際社会に発信する安倍総理大臣は厚顔無恥という言葉で表すことができません。

総じてみると、今回の安倍談話は日本の戦争責任を外的な要因に責任転嫁し、日本に好意的に接する方々あるいは国々の思いを自国のつまらない自己慰撫と卑劣な戦争責任回避のために利用するものです。そのうえで戦争に関する歴史を他人事のように語って見せて挙句の果てに自らの政策の宣伝に利用するものですらあります。この談話にかつて第二次世界大戦を引き起こした当事国であったことへの真摯な反省は見えません。戦後日本政府の姿勢を貫くといったもののその言葉は諸外国に文句を言わせないことはできても、とても誠意あるものには感じられません。ほとんどの国民は戦争のあった時代に生まれていないし、戦争の中に生きた方々から体験を聞く程度しか私たちが戦争を知りません。しかし、だからこそ近代日本の帝国主義と侵略の歴史を直視し、その真摯な謝罪と反省を行動で示し、その念を次世代に忘れられないように受け継いでいかなくてはなりません。国民は戦後70年を経て安倍晋三内閣が誕生し、このような談話が発表されたことを重く認識しなければなりません。

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