処理水海洋放出

 2011年の東日本大震災をきっかけに発生した福島第一原子力発電所事故以降、核燃料を冷却するために毎日炉心に冷却水が注入され、大量の放射性物質を含む排水が発生しています。また原子炉建屋内に流れ込む地下水も溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)に触れて同様に放射性物質を含みます。そうして発生した汚染水はAdvanced Liquid Processing SystemALPS)によってトリチウム以外の放射性核種が国の基準を下回るレベルまでろ過され、1000基以上のタンクに貯蔵されてきました。この数年処理水の貯蔵能力の限界が指摘され続け、これまで貯蔵されてきた処理水の処分方法が検討されてきました。2021年に日本政府は2年後をめどに処理した汚染水を海洋放出する方針を発表しました。今年から処理した水の海洋放出について日本政府は各国に説明して回り、国際原子力機関(IAEA)からの包括報告書で処理水の海洋放出が環境に与える影響は少ないとしたほか、韓国政府は日本政府の決定を支持しました。日本国内においても全漁連など関係する団体への説明を行い、岸田文雄総理大臣は「全責任は私がとる」と明言しました。そして今年824日、ALPSで処理された水をさらに海水で希釈した水の海洋放出が始まりました。これに対し日本の左翼やオセアニアの一部の国々は反対し、韓国でも野党を中心に反対運動が広がりました。中でも中国政府は処理水を「核汚染水」と呼んで海洋放出に強硬に反対し、海洋放出が開始されると日本産魚介類の全面禁輸を発動しました。それ以外にも風評被害や主に中国から日本全国にかかってくる嫌がらせの電話、日本語学校への嫌がらせなどが相次ぎました(それも9月半ばにはほぼ止んだようです)。最初の放出計画は911日に終了しましたが、すべての処理水放出が終わるには30年ほどかかる見通しで105日に2回目の放出が予定されています。

 今回タンクから放出された水が「処理水」なのか「汚染水」なのかなどという議論は単なる言葉遊びに過ぎません。どちらで呼ぼうが指し示すものは同じです。IAEAが本当に公正な組織なのかはさておき、実際のところ処理水は現在のところ直ちに危険を及ぼすものではないのかもしれません。処理水の放出はやむを得ないところもあったと私自身は考えています。中国政府の主張も科学的な根拠に基づいているものとは言いきれず、大いに政治的な意図がこもっているでしょう。中国国内や日本国内でこれまでに発生している嫌がらせについては法に則って対応するべきです。そして専門家でもない人に対案を求めるのは酷にしても、せめて国政野党は海洋放出以外の代替案が科学的に妥当かある程度検証したうえで反対すべきです。海洋放出反対派が唱えている敷地内での貯蔵用タンク増設は問題の先送りにしかなりませんし、タンクも耐用年数が数十年ほどである以上永久に処理水を同じタンクに貯蔵しておくことはできません。当然科学的な根拠に基づかない煽動的な発信は誰であれ慎むべきです。そうでないと非科学的で場当たり的な思い付きと思い込みで反対しているように見えてしまいます。

 しかし、ここまで述べたことを差し引いても本当に処理水の海洋放出は「安全」と言えるでしょうか。海洋に放出された以上、原発で放射性物質に触れた水は海流に乗って世界中を巡っているので、処理水の中に含まれる放射性物質は巡り巡って全世界の魚介類に入っていきます。現在直ちに人間の健康や生態系への影響がないとしても、数年先、数十年先、数百年先の地球環境にどのような影響を与えるか確かなことを言える人は誰もいません。そういった意味では中国の批判も全くもって不当だとはいいがたいのです。根拠もなく福島県産の魚介類を遠ざけることは非科学的ですが、リスクが全くない食べ物はありません。食べるにしても安全だから食べるのではなく、科学的に公平公正な情報をもとにリスクを承知の上で食べると考えるべきでしょう。関係する機関は科学的に公平公正な情報発信を続け、そのうえで消費者は食べるか食べないかの判断を下すしかないのです。そもそも日本の第一次産業を守りたいならこういった問題にかかわらず国産の魚介類を食べるべきでしょう。少なくとも排水中のトリチウムの量が日本より海外の原発の方が多いことをアピールしたところで、中国の信用を落とせても日本の信用を増やすことにはつながりません。

 処理水の海洋放出は差し迫った問題に対処するためにやむを得ない面があったかもしれません。しかし、安全性といっても現在直ちに環境への影響があるわけではないと言っているにすぎず、海洋放出を続けた際の中長期的な安全性は誰も把握していません。日本政府と東京電力、および関係者は処理水の海洋放出ついて責任を全世界に対して負いました。どの国が海洋放出を支持している・支持していないに関係なく、その責任は誠実な情報公開と行動でしか果たすことはできないのです。

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