反ロシアデー(反ロデー) −返せ!!北方領土−

 194588日、ヤルタ会談に従い当時のソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が日本に宣戦布告し、翌89日に当時の「満州国」、樺太、千島列島に侵攻しました。日本とソ連は19414月に日ソ中立条約中立条約を締結していました。この条約の有効期限は19464月であったのでソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄する形となりました。すでに強い部隊を南方に送っていた関東軍(満州に駐屯する日本軍)をはじめ日本軍はソ連の赤軍にとてもかないませんでした。そして815日に日本が降伏した後も攻撃を続け、日本が降伏文書に公式に署名した92日になっても侵攻を続けました。その結果、93日までに北海道目前の歯舞諸島まで占領するに至りました。当時のソ連共産党書記長スターリンとしては北方に島々どころか北海道まで占領しようとしていたようですが、その後他の連合国との駆け引きで北海道侵攻はかなわなかったそうです(これ以前の経緯は歴史問題を参照のこと)。

 反ロシアデー(反ロデー)は1954年、当時の大日本愛国党総裁の赤尾敏が提唱し第1回の活動が行われました(もちろんこの段階では反ソ連デー(反ソデー)と呼ばれました)。以来ずっと活動は継続され今では東京のロシア大使館だけでなく大阪でも活動が行われ、多くの右翼団体が参加する主に北方領土の返還やシベリア抑留に対する謝罪を要求する運動です。

ここでいう北方領土とは必ずしも日本政府の指定するようないわゆる「北方4島」だけとは限りません。南樺太や全千島列島を含む(日露戦争の講和条約ポーツマス条約で獲得した)領土の復元を主張する団体もあります。また、領土問題の早期解決を求めて内閣府や外務省に要望書や抗議文を手交することもあります。

私が不思議だと思うことは、領土に侵攻したソ連(ロシア)を非難する右翼団体はとても多いのですが、侵攻を容認したアメリカの責任を問う右翼団体はあまり多くないことです。アメリカが非難されてしかるべきであるはずなのに、非難する右翼団体がロシアを非難する右翼団体より少ないのです。これは右翼の原点が反共主義であったことの名残でしょうか。その答えはいまだ不明です。

私の主な主張は領土問題を参照してください。

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