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成人の日 ―大人と子供の境界―

 一般に知られている成人の日は1月の第二月曜日ですが、かつてはこの日であったのでここに書きます。成人の日は成人になる年齢に達した男女を祝いはげます日です。この日全国各地で成人式が行われます。右翼も左翼も新成人への激励・勧誘とお互いへの対抗のために活動します。

 115日という日の所以は、かつて男子が成人となる儀式「元服の儀」が行われたのが小正月であり、小正月が115日であったからと言われています。成人式はたいていの場合故郷に戻って行われるものですが、これではそのために帰省することが難しいとして、1999年の祝日法改正によって、2000年から1月の第二月曜日に移動されました。祝日を変えることを嫌う私ですが、この日だけは仕方がないのかもしれません。

 近年、「荒れる成人式」が問題となっています。成人式において若者たちが街で騒ぐ(暴れる)、成人式を妨害するなどの行為です。若者の幼児化、モラルの崩壊などがこれにより叫ばれますが、ある意味でこの問題は近代社会の必然なのかもしれません。古くは、世界中で子供が成人として社会に認知されるための儀式は存在し、子供はその儀式を終えれば大人となり、大人と子供の境界は明確でした。しかし、社会が複雑化し、教育が多様化して、社会の中で子供と大人の境界が曖昧になるにつれ、若者は自分がどこで大人になるかを見失ってしまったのです。そこで肉体の成熟と精神の成熟が時間的に離れすぎるという現象が起こるようになったのでしょう。もちろん、社会でそれは言い訳にはなりません。その結果の一つとして「荒れる成人式」があると言えます。ある調査の結果で、新成人の半数以上は自分を大人であると認識していないことからも言えます。言うなれば、社会が子供たちに猶予を与えてきたのです。

 既存の価値観が崩壊し、大人と子供の境界が不明確になってしまった今日において、社会を構成するすべての人が大人と子供の境界とは何なのか考えることが大切でしょう。誰もが分かっていることなのでしょうが、それがとても大切なことです。恥ずかしながら私もその問いの答えはよくわかりません。その答えは社会すべてで探すしかないのです。

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