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竹島奪還デー ―竹島は日本の領土か―

 19541028日、韓国政府は日本の竹島問題を国際司法裁判所に付託する提案を拒否しました。同年6月に韓国は竹島(独島)に武装警察を上陸させ、その後関係施設を建設し、近海を監視しています。これ以来竹島(独島)は韓国が実効支配しています。

 右翼民族派はこの日を竹島の日あるいは竹島奪還デーとして韓国大使館や韓国領事館に対する抗議活動を行っています。そこでは韓国を「強盗国家」と呼び、竹島問題だけでなく歴史教科書の問題や従軍慰安婦の問題に関しても抗議活動をすることもあります。右翼民族派は19541028日に韓国の武装警察が上陸したとしていますが、6月にはすでに上陸しているので間違いです。

竹島(韓国名独島)は日本海に浮かぶ日比谷公園より少し大きいくらいの島です。関係のない第三国では発見者の名前をとってリアンクール岩礁と呼んでいます。日本、韓国双方ともに「三国史記」や「太宗実録」などの歴史書などで竹島が歴史的な根拠を提示しています。しかし同じものでも解釈の仕方が違うなどの相違があり決着していません。そのどちらが正しいのかは今のところ不明です。

 1849年、フランスのリアンクール号が島を発見し、リアンクール島と名付けます。1905年、リアンクール島は日本政府により竹島と名付けられ、島根県に編入されます。韓国側はこれを韓国併合の先駆けとしています。以後竹島は1945年の太平洋戦争終戦まで日本領となります。

1945年、ポツダム宣言により竹島は連合国の管理下に置かれることとなります。1952年、韓国初代大統領李承晩(イ・スンマン)によりイ・スンマンラインが制定され、竹島は韓国領とされました。これにより竹島近海の日本の漁船が拿捕されたり、日本人漁民が射殺されたりしました。その動きの中で19547月、韓国は武装警察を上陸させました。925日、日本政府は韓国政府に対し竹島問題を国際司法裁判所に付託することを提案しますが、韓国政府はこれを拒否します。1965年、二代目大統領朴正煕(パク・チョンヒ)のもとで日韓基本条約が調印されイ・スンマンラインは消滅します。しかし、竹島問題は並行線をたどったまま今に至ります。

 現在、日本も韓国も竹島が自国の領土であるという主張を譲りません。韓国の反応は熱烈です。島根県が222日を竹島の日としたとき、韓国では全国で抗議デモが行われ、日の丸が焼かれるなどの抗議が行われました。2008年にも日本の公民指導書に竹島が日本の領土であると明記されると日本大使館前で抗議デモがありました。そこには日本が韓国を植民地支配した時の憎しみが人々の心の奥底で未だに消えていないことがあるのかもしれません。 領土問題のページでも書きましたが、領土問題は複雑で民族感情まかせに対処することはとても危険です。海洋資源の問題などがあります。日本政府も韓国政府も海洋資源が欲しいというのが正直なところでしょう。そのために異常に民族精神なるものを互いに煽っているのかもしれません。おそらくこの問題の解決にはとても長い時間がかかるでしょう。そのためにも忍耐というものがやはり必要ではないでしょうか。

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