1123

勤労感謝の日 ―その源流―

1123日はご存知の通り勤労感謝の日です。日常の労働とその生産に感謝する日ですが、その源流はどこにあるのでしょうか。その源流を探ると、農耕・牧畜をして生活する民族では当然考えられそうなものでした。

 この日、皇室の行事として「新嘗祭」(にいなめさい、しんしょうさい、にいなめまつりと読みます)が行われます。現在は天皇の勅使がその年の新米を伊勢神宮に捧げる行事ですが、第二次世界大戦の前は天皇が地の神や天の神にその年の新米を捧げ、それを臣下と食べる行事でした。天皇が即位してから最初に行われる新嘗祭を特に「大嘗祭」(だいじょうさい、おおなめまつり、おおにえまつり、おおんべのまつりと読みます)といい、正式に天皇と認められる行事です。いわば収穫祭です。その年の収穫・生産を神に感謝する祭りは、アメリカの感謝祭など世界的にもごくありふれた行事です。

 この新嘗祭は、1300年以上前から伝わっているそうで、本来旧暦で11月の二度目の卯の日に行われるものでした。しかし、1873年に太陽暦を導入するにあたって、旧暦の11月が翌年の1月になってしまうため、その年は新暦で11月の二度目の卯の日に行われました。その日がたまたま1123日であったため、翌年から新嘗祭は1123日に行われることになったそうです。そして当時から新嘗祭の日は休日とされました。

 1948年、新嘗祭が行われる日は祝日法によって勤労感謝の日となりました。農耕・牧畜も労働の一種ですから、農業の収穫を祝う日が労働生産全てを祝う日に祝日の意味が拡張されたことになり、その年の収穫を神(超自然的なもの)に感謝するという意味は薄れてしまったかもしれませんが、労働生産を祝うという祝日の意義は残ったものと考えられます。このように、祝日にはさまざまな歴史の流れが秘められています。

 最近、この勤労感謝の日を別の日に移動して秋の大型連休を作ろうという動きがあるそうですが、私は歴史を無視したこの行為によって、他の祝日と同じように祝日の本来の意味を失う可能性があるので歓迎しません。連休を増やしたいという安易な発想で祝日を変更することはいかがなものでしょうか。緑の日のような悲劇を繰り返してはなりません。

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