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第五福竜丸事件 ―日本の反核運動の原点―

 195431日、アメリカ領マーシャル諸島・ビキニ環礁で水素爆弾の爆発実験「ブラボー実験」が行われ、実験場には直径約2km、深さ70mの巨大なクレーターが形成され、周辺が広範囲にわたって放射能汚染されました。これによりマグロ漁船「第五福龍丸」をはじめ多くの漁船が被曝し、このうち第五福龍丸の久保山愛吉無線長が半年後に死亡しました。これにより日本は原子爆弾・水素爆弾の両核兵器の被害を受けた国となり、日本において核兵器の存在に反対する運動の原動力となりました。

 アメリカとソ連の冷戦の中、両国は互いに核開発を進めました。1945年にアメリカが原爆を完成させ、広島と長崎に投下しました。1952年には水爆を完成させ、マーシャル諸島のエニウェトク環礁で爆発実験を行いました。一方、ソ連は1949年に原爆を完成させ、1953年には水爆を完成させます。そのような緊張状態の中で、アメリカは太平洋の島々で60回以上の核実験を行いました。その核実験の一環として、1954年の「キャッスル作戦」があり、その作戦の中に「ブラボー実験」があったのです。

原爆はウランやプルトニウムなどの放射性物質の核分裂から膨大なエネルギーを得ますが、水爆は水素の同位体である重水素や三重水素の核融合から膨大なエネルギーを得ます。こちらの方が原爆より高いエネルギーが得られるのです。実際に、1952年に初めて使われた水爆は、広島に投下された原爆の550倍の威力を持っていました。

核実験のために、実験場として使われる島々の住民は強制退去を余儀なくされ、そのほとんどは現在も元の島に帰ることができないままです。また、危険水域の設定が十分でなかった上に、水爆の威力が予想された数値をはるかに上回ったため、周辺の海域で漁をしていた多数の漁船が放射性降下物(いわゆる「死の灰」)を浴びて被曝しました。

この事件に対して、アメリカは第五福竜丸に乗っていた漁師23人に対して総額72000万円の慰謝料を支払っただけで、責任を追及されませんでした。冷戦の中で、核実験を止めたくないが、日本国民の反米感情をあおりたくないと言う判断からでした。これに対し翌年には第1回原水爆禁止世界大会が行われ、国民の間で反核運動が盛り上がりました(かの怪獣「ゴジラ」も第五福竜丸事件の影響を受けて設定の原型が生まれました)。以来、毎年原水爆禁止世界大会は開催され続け、31日は多くの反核団体や左翼団体から「ビキニデー」と呼ばれ、さまざまな運動が行われます。

核エネルギーは両刃の剣です。原子力発電のように生活に必要なエネルギーを生み出せば、原爆のように一瞬で20万人を殺害する兵器にもなるのです。原爆よりはるかに威力の高い水素爆弾の原理も、基本的には太陽がエネルギーを生み出す原理と同じです。つまり、核エネルギーも使いようなのかもしれません。しかし、人間を殺戮する兵器としての核兵器は許されるものではありません。核兵器の欠点を挙げればきりがありませんが、最大の欠点はその破壊力そのものです。物理的な破壊のみならず、生殖器官への影響や被曝の後遺症が深刻で、残虐過ぎます。原子力発電については難しい問題かもしれません。原子力発電に代わる決定的な代替エネルギーが見つかればよいのですが、現在のところそれは見つかっていません。見つからない以上原子力発電を利用し続けるしかないでしょう(根本的な解決法として、原子量発電を行う必要がなくなるほどエネルギー消費を減らすという方法がありますが)。

なお、右翼民族派の中には現在の日本国憲法を破棄したうえで核武装を主張する団体もありますが、まったくもって支持できません。日本で核兵器を作ることはあまりにも非現実的だからです。確かに日本には核兵器を製造できるだけの技術が存在するでしょう(実際に日本に外国から持ち込まれた核兵器が存在するかもしれません)。しかし、それを主体的に製造・管理するだけの能力が現在の日本政府にはあるのでしょうか。恐らくないでしょう。仮に核兵器を作り上げたとして、どこでその成果を試すのでしょうか。またその土地の住民を納得させることができるのでしょうか。私には考えられません。現在の日本が核兵器を持つことを国際社会が容認するとは思えません。また日本が核兵器で対抗しなければならない勢力が存在するかも疑問です。

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