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昭和の日 −消された視点−

 2007年よりこの日は昭和の日となっています。昭和天皇の誕生日だからです。不況、テロ、クーデター、戦争、敗北、そして繁栄・・・そのすべてが詰まった激動の時代である昭和とその中で生きた昭和天皇を忘れないようにしようというのが狙いです。この祝日の制定には保守政治家や右翼活動家も関わっています。本当の狙いはそうなのでしょうか。昭和という時代は忘れ去られてはいけません。過去があっての今です。その意味では昭和という時代を何らかの形で残すことは有意義なことです。

ただし、それは目を覆いたくなるような過去を受け入れることを含みます。南京大虐殺やバターン死の行進などの日本が犯した数多くの戦争犯罪も受け入れなければなりません。

しかし、現在の日本の状況を見れば、そのような意図は微塵も感じられません。ただ昭和という時代を忘れないようにしよう、ややもするとあの屈辱の歴史を忘れないようにしよう、それには緑の日というのはわかりにくいという安易な意図があるように感じられます。日本の要人たちは歴史から逃げようとしています。日中戦争や太平洋戦争をいまだに正当化しようとする人がいます。そうすることによって束の間の安心感を得ようとしているようにも見えます。これが邪推であればよいのですが。

ところで、2006年以前、この日は緑の日という祝日でした。緑の日は昭和天皇が生物学者でもあったことからつけられた名称です。2007年より54日に移されました。この日から昭和天皇の変わった一面を垣間見ることができます。多様な視点があることもまた歴史の興味深いところです。この昭和の日はその多様性の芽を安易な発想によって摘み取ることになりました。かつて国民の休日という祝日であった54日に緑の日を持っていくことに何の意味があるでしょうか。私は緑の日の制定された本来の意味が失われてしまったように感じます。祝日はなぜその日なのかということが大きな意味を持ちます。なぜかわかることでその祝日の意義を理解できるというものです。終戦記念日が突然今から917日と定められて誰が終戦記念日の意味を理解できるでしょうか。それと同じで54日がなぜ緑の日なのか説明することができません。

かつての緑の日と国民の休日にはある種の奥ゆかしさがありました。今ではその奥ゆかしさがまったく感じられません。国は思想統制にも等しいことをしたと私は考えます。

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