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朝鮮戦争勃発 ―民族統一未だ成らず―

 1950625日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の朝鮮人民軍が北緯38線を越えて大韓民国(韓国)に侵攻しました。これにより朝鮮戦争が勃発し、冷戦は朝鮮半島で熱い戦争となりました。戦争は1953年に休戦協定が結ばれましたが、現在も続いています。

 1945814日、日本はポツダム宣言を受諾して連合国に降伏し、朝鮮半島の支配権を放棄することとなりました。アメリカのトルーマン大統領は、ソ連のスターリンに北緯38度線を境として朝鮮半島を分割統治することを提案しました。これには89日より満洲に侵攻していたソ連に朝鮮半島の主導権を握らせない目的もありました。これ以前にも日本の朝鮮総督府を基にした独立準備委員会や国連による信託統治が考えられましたが、ポツダム宣言やアメリカとソ連の対立などで失敗しました。その後中国にアメリカに亡命していた李承晩(イ・スンマン、のち韓国初代大統領)や中国に亡命していた金日成(キム・イルソン)が帰国し、それぞれアメリカ、ソ連の指導を受けてそれぞれ統治体制の準備を進めていきました。すでに対立は決定的でした。

 1948815日、韓国が建国されました。遅れて同年99日、北朝鮮が成立しました。韓国国内では共産主義ゲリラの活動が活発になっており、韓国政府はこれの鎮圧に躍起になっていました。その一方で、北朝鮮は中国やソ連の支援で着実に軍備を増強させていきました。

 そして1950625日午前4時、朝鮮人民軍は北緯38度線を越えて進行しました。もともと朝鮮人民軍より人員も装備も訓練も不足していた上にゲリラ討伐で疲弊していた韓国軍はこれに対抗できず、628日には韓国の首都ソウルが陥落し、朝鮮人民軍は8月までに南部の釜山などを除くほとんどを占領しました。

627日、国連安全保障理事会でアメリカは北朝鮮の行為を「侵略行為」として非難し、北朝鮮に対する弾劾決議がソ連欠席のもとで採択されました(当時ソ連は中華人民共和国(中国)の国連加盟問題に抗議するため理事会をボイコットしていました)。この決議は加盟国に必要な援助を韓国にするように要求し、アメリカ軍やイギリス軍など60万以上の兵力が朝鮮半島に派遣され、「国連軍」として機能しました(国連旗の使用こそ許可されていましたが、正規の国連軍ではなく実態は「多国籍軍」でした)。

 国連軍も当初苦戦を強いられましたが、補給線が伸びきっていた朝鮮人民軍の進撃は止まり、次第に敗走を重ね、9月末にはソウルを奪還しました。10月には下の句が単独で北緯38度線を北上し、それに「国連軍」が続きました。それにより1020には北朝鮮の首都平壌が陥落し、11月までに中国との国境付近にまで迫りました。

 しかし、ここで、ソ連の支援を受けた中国が「義勇軍」と称して総勢100万人規模の兵力を派遣しました。これを予想していなかった韓国軍と「国連軍」は敗走し、125日には北朝鮮は平壌を奪還し、翌年1月には再びソウルを占領しました。ソウルは3月に「国連軍」に奪還されましたが、戦争は北緯38度線を挟んで膠着状態となりました。

 この状況の中で、停戦が模索され、1953727日に現在の軍事境界線を挟んで休戦協定が結ばれました。以来現在に至るまでこの軍事境界線が事実上の「国境」となっています。そして、お互いにとってあるはずのない「国境」を抱えながら、韓国は資本主義国家として、北朝鮮は社会主義国家としてそれぞれ異なる道を歩むこととなったのです。

そして、朝鮮戦争は現在も続いているのです。最近では1983年のラングーン事件、1987年の大韓航空機爆破事件、1999年、2002年の黄海での銃撃戦、2010年の韓国哨戒艦沈没事件など、韓国と北朝鮮の緊張が過去のものでないことを想起させる事件が後を絶ちません。一方で、2000年の南北首脳会談など、双方の歩み寄りが存在することもまた事実です。

朝鮮戦争は、アメリカとソ連の対立に振り回された同じ民族同士による戦争でした。その戦争により、朝鮮半島では戦闘員・非戦闘員合わせて400万人の死傷者が出ました。そして、冷戦構造さながらに朝鮮民族と朝鮮半島は分断されたのです。冷戦が終結してから20年以上が経過し、資本主義と社会主義の対立は完全に過去のものとなりました。朝鮮戦争はどのような結末で終戦となるのでしょうか。分断され続けた民族が再び統一される日はいつになるのでしょうか。その答えは朝鮮民族しかわかりません。

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