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アメリカ独立記念日 ―自明の真理―

 177674日、イギリスの13の植民地州が、イギリスとの独立戦争の最中、ペンシルヴァニア州フィラデルフィアで一方的に独立を宣言しました。ここに、後に世界最強と言って過言ではない国家となるアメリカ合衆国が誕生しました。アメリカでは現在この日が独立記念日とされ祝日となっており、さまざまな行事が行われます。

 1607年、イギリスが北アメリカ大陸で最初の植民地ヴァージニアを造りました。その後、18世紀初頭には13の植民地州が形成されました。やがてそこには大学が生まれ、議会が生まれました。さらに1755年から1763年のフレンチ=インディアン戦争により隣接していたフランスの植民地の大部分がイギリスに編入されると、フランスの脅威がなくなり、イギリスの軍事力の必要性が低くなりました。一方で戦争により財政難に陥ったイギリスは植民地での課税を強化するなど植民地支配を強化しました。1765年、イギリスが印紙法を制定すると、アメリカ植民地議会は「代表なくして課税なし」という議決をし、イギリスに法律を撤廃させました。その後も1767年のタウンゼント歳入法、1773年の茶法(茶をアメリカに関税なしで輸出する特権を東インド会社に与える法)に対しても、イギリス商品の不買運動やボストン茶会事件(東インド会社の船が市民に襲撃され茶箱が海に投げ捨てられた事件)などの反発を生みました。ボストン茶会事件に対し1774年、イギリスはボストン港を閉鎖しました。これに対して植民地州は第1回大陸会議を開いてイギリスに抗議しました。

 1775年、レキシントンとコンコードで植民地の民兵とイギリス軍の間で戦闘がおこり、アメリカ独立戦争がはじまりました。同年第2回大陸会議が開かれ、ジョージ=ワシントンが植民地軍の総司令官に任命されました。当初植民地側は苦戦しており、独立派も多数ではありませんでしたが、1776年に出版されたトマス=ペインの「コモン・センス」により独立を求める声を高めていきます。その中で、トマス=ジェファーソン、ベンジャミン=フランクリン、ジョン=アダムズ、ロジャー=シャーマン、ロバート=リヴィングストンが独立宣言を起草し、74日、フィラデルフィアのインディペンデンスホールで採択され、公布されました。これにより植民地13州が独立を宣言しました。独立宣言が採択された後も戦闘が続きます。1777年、サラトガの戦いで植民地軍がイギリス軍に勝利し、1778年駐仏大使であったベンジャミン=フランクリンの働きによりフランスがアメリカ側について参戦します。さらいオランダとスペインがアメリカ側につきました。ロシアは武装中立同盟を提唱し、デンマーク、ポルトガル、プロイセン(ドイツ)、スウェーデンがこれに加わりました。さらにヨーロッパからは、後にフランス革命に参加するラ=ファイエット、後にポーランド分割に反対し蜂起するコシューシコが義勇兵として参戦しました。このような状況で、イギリスは外交上孤立していきました。1781年、アメリカがヨークタウンの戦いでイギリスに勝利し、アメリカの勝利がほぼ確定します。ついに1783年、パリ条約によってアメリカはイギリスに独立を認められました。同時にイギリスはミシシッピ川以東のルイジアナを割譲しました。1787年、アメリカ合衆国憲法が制定され、1789年には初代大統領にジョージ=ワシントンが就任しました。

 アメリカでは独立の翌年から毎年74日に祝賀行事が行われています。1870年には公務員の祝日となりました。アメリカ独立宣言には「すべての人々は平等に造られ、造化の神によって一定の譲ることができない権利を与えられ、その中に生命、自由、幸福の追求が含まれていること」、「これらの権利を確保するために人間の間に政府が作られ、その正当な権力は被支配者の同意に由来するであること」、「いかなる形の政府であってもこれらの目的を破壊する時、人民はその政府を改革あるいは廃止し、彼らの安全と幸福をもたらす最も適当な原理を基礎とした新しい政府を設ける権利を持っていること」が「自明の真理」であるとされています。アメリカ合衆国がその理想のために多大な血と努力によって誕生したことは誰もが疑えないでしょう。しかし、今や世界最強の超大国となったアメリカは、その「自明の真理」を守っているのでしょうか。自国の権勢のために国民の生命、自由、幸福の追求する権利を奪っていないでしょうか。民衆はそのような政府を改廃して新しい政府を造ろうとしているでしょうか。アメリカでは「自明の真理」が国内で守っていないように感じます。ましてや国外ではなおさら守られていないと言えます。177674日に、アメリカ独立に立ち会った人々は現代のアメリカをどう見ているのでしょうか。

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