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防災の日 ―天才と人災の記憶―

 192391日午前1158分、相模湾沖を震源としたマグニチュード7.9の地震が関東地方を襲いました。多くの建物が倒壊したほか、ちょうど昼食の準備をしている時間帯であったため被災地のあちこちで火災が発生し、東京を中心に10万人以上の死者・行方不明者が出ました。

しかし災厄はこれだけにとどまりませんでした。かつてない災害で交通・通信網は寸断されて首都機能は完全に麻痺し、行政機関やマスコミを通じて真偽不詳の情報が関東地方のみならず全国に出回りました。震災直後から関東地方に4000もの自警団が形成されましたが、出回った「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」などの流言飛語をそうした人々が信じた結果、朝鮮人や朝鮮人に間違われた中国人・日本人が虐殺されました。その数は少なくとも数百人、多いものは6000人以上とされています。このほかにも労働活動家が警察により虐殺された亀戸事件、無政府主義者の大杉栄・伊藤野枝らが憲兵の甘粕正彦大尉らに虐殺された甘粕事件、香川県から来た薬の行商人の一家9人が朝鮮人と間違われて殺害された福田村事件など、数多くの悲劇で多くの人が亡くなりました。

 関東大震災後の復興の中で1930年にかつての被服廠跡に横網町公園と東京都慰霊堂が造営され、毎年91日に震災の犠牲者を慰霊する法要が執り行われます。この場所は陸軍の被服廠跡で、震災時に周辺から避難してきた人が火災旋風に巻き込まれおよそ38千人が亡くなった場所です。また公園内には朝鮮人虐殺慰霊碑をはじめ数多くの慰霊碑が建立されており、1974年から震災に乗じて虐殺された朝鮮人を慰霊するための慰霊式が行われています。

1960年にこの日を防災の日とすることが閣議決定されました。防災の日が91日となった背景にはこの日が関東大震災の起こった日である以外にも旧暦の91日前後が台風の上陸しやすい時期であること、この前年(1959年)9月に伊勢湾台風が上陸して東海地方を中心に5000人以上の死者・行方不明者を出したことがあるとされています。1982年には改めてこの日を防災の日とするとともに、この日を含む週を防災週間とすることが閣議決定され、以来この日は防災意識を高める週間として全国で様々な防災にかかわる活動が行われています。

202391日をもって関東大震災から100年を迎えました。今、過去の災厄の記憶が断絶する危機に直面しています。これまで朝鮮人虐殺慰霊式に東京都知事が追悼文を寄せるのが慣例となっていましたが、2017年より小池百合子東京都知事は送っていません。また830日の記者会見において、松野博一内閣官房長官は関東大震災での朝鮮人虐殺についての質問に対して「調査したかぎり、政府内で事実関係を把握できる記録が見当たらない」と回答しました。内閣府の中央防災会議が2009年にまとめた報告書にも該当する記述があるのですが、松野官房長官は内閣府のウェブサイトで確認できる情報を把握していなかったのでしょうか。今、災害とデマと民族差別によって引き起こされた恐るべき虐殺の事実が6000人の根拠がないというだけでなかったことにされるようとしています。犠牲者30万人という証拠がないというだけで南京大虐殺自体をなかったことにしようとする論法と同じです。当時の状況が状況であっただけに正確な集計が困難なだけで、虐殺があった事実は否定されるものではありません。このような卑劣な歴史修正は断じて許してはなりません。歴史の忘却の先には大きな災厄が待っています。

 災害の悲劇は天災による直接の被害だけではなく、突然の災害で不安やパニックに陥ってしまった人間によって引き起こされる人災もあります。これらは決して過去のことではなく、現代でも繰り返されていることです。天災は忘れた頃にやってくるというものです。過去に起こった出来事を学び、未来に生かすことが大切です。私たちも過去から学び、日常に生かしましょう。

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