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日本降伏 ―戦後の始まり―

 194592日、東京湾に停泊したアメリカ海軍戦艦「ミズーリ」の甲板で、降伏文書調印式が行われました。国際法上の日本の「戦後」の始まりです。日本全権は重光葵外務大臣と参謀総長の梅津美治郎陸軍大将、アメリカ全権はダグラス・マッカーサー元帥が出席し、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、オランダ、中華民国、カナダ、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、日本の10カ国の代表が降伏文書に署名し、国際法的に太平洋戦争、そして第二次世界大戦は終わりました。ここにはいろいろな話があります。

 降伏文書に各国代表が署名しているとき、カナダの代表が署名する欄を間違えて署名してしまいました。その後の代表も間違いに気付かなかったりダグラス・マッカーサー元帥に指示されたりで間違ったまま署名しました。署名後オランダ代表が日本の代表団の一人にこのことを伝えました。この間違ったままの署名を重光葵外務大臣は拒否し、アメリカのサザーランド参謀長が署名を訂正したものを日本代表団は受け入れたということです。

 また、降伏文書署名式の時、ミズーリには2本の星条旗が掲げられました。1つは1941年の真珠湾攻撃の時にホワイトハウスに掲げられていたもの、もう1つは1853年にペリーがミシシッピ号で浦賀に来航した時に掲げられたものでした。

 マッカーサー元帥は降伏文書調印式での演説で以下のように語っています。

「私たちはいま、92年前の同胞ペリー提督と同じ立場にいる。ペリー提督の目的は、日本に英知と進歩の時代をもたらし、世界の友情と貿易と通商に向かって、孤立のヴェールを取り払うことであった。しかし恐ろしいことに、日本は開国によって西洋の科学から得た知識を利用し、迷信と武力に訴えることによって言論の自由、さらには、思想の自由までも否定したのである。私の目的は、再び日本民族のエネルギーと才能を、建設的な面に向けることだ。私たちの指導によってこの国は現在のみじめな状態から立ちあがり、尊厳に満ちた地位を獲得することができる。」

西洋的な啓蒙の価値観が全面に出ていますが、一理あると思います。梅津美治郎参謀総長も重光葵外務大臣も極東国際軍事裁判(東京裁判)で起訴され、梅津美治郎参謀総長は終身刑、重光葵外務大臣は禁固7年の判決を受けました。そして梅津美次郎参謀総長は獄中で病死し、現在靖国神社に合祀されています。果たして現代の日本は、マッカーサー元帥の言うとおり、日本民族のエネルギーと才能は建設的な面に向かっているのでしょうか。そして、言論の自由、さらには、思想の自由までも否定することをしていないのでしょうか。

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