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反中共(中国共産党)デー ―日中関係の行方―

 1972929日、日中共同声明に日本と中華人民共和国が調印し、日本と中国の国交が樹立されました。しかし、それまで国交のあった中華民国(台湾)とは事実上国交が断絶し、現在も中華人民共和国と中華民国の関係は安定しません。

 そして、共産主義国家である中華人民共和国との国交樹立に反発する右翼民族派は日中国交樹立30周年にあたる2002年から929日を「反中共デー」として抗議活動を展開し始め、現在主要な都市に広がっています。この運動の最終目的は「日中国交断絶」としています。人権弾圧や環境破壊をおこなう中共(中国共産党の略)を粉砕せよということです。そして台湾やチベット人など中国からの独立を求める勢力を支持しています。

 日中国交樹立への道はかなり困難な道でした。1950年代前半から日本と中華人民共和国との間で民間貿易が行われていましたが、1950年代後半、岸信介内閣の時から日本政府は反共主義を剥き出しにして日中間の貿易は中止され、国内での意見の対立が深まりました。その中で、日中国交樹立には世界の動きもありました。19713月に世界卓球選手権名古屋大会において日本卓球協会会長の後藤ナ二の招待で中国代表が参加しました。翌月にはアメリカの卓球チームが中国を訪れ、アメリカと中国との関係改善につながりました。いわゆる「ピンポン外交」です。同年中華人民共和国が国際連合の代表権を獲得し、常任理事国となりました。同時に中華民国は国連の代表権を失いました。1972年にはアメリカのニクソン大統領が中華人民共和国を電撃訪問し、アメリカと中華人民共和国の国交が樹立されました。背後には中華人民共和国とソ連の路線対立がありました。アメリカもソ連に対抗していました。このような状況下で日本の田中角栄首相は公明党の訪中団が提示した「日中復交五原則」を踏まえて日中共同声明調印に至りました。

 日中関係はその後浮き沈みを繰り返しました。1978年には日中平和友好条約が調印されましたが、戦争補償問題や靖国神社問題などで日中関係が悪化することも度々ありました。しかし経済や文化交流の面では現在も発展し続いています。この関係を断ち切って何の利益があるのでしょうか。今日本の産業は中国なしにはほとんど成り立たず、中国の経済は世界経済に大きな影響を与えています。また中国は外交面でも大きな影響力を持っています。日本と中華人民共和国が国交を断絶すれば、日本の政治・経済だけでなく、全世界の政治・経済に重大な影響を及ぼすでしょう。チベットなどに代表される少数民族に対する弾圧や環境汚染、さらに貿易における有毒物混入食品の見過ごしや汚職を許すことはできませんが、国交を断絶して解決することはありません。

 しかし、刻々と変化する国際情勢の中で、今後日中関係にどのようなことが起こるのか予測できません。日本国内にも中国を敵視する人々がいますし、中国国内にも日本を敵視する人がいます。それでも日本と中華人民共和国との友好関係が持続すること、そして日本と中華民国(台湾)との関係が友好的なものであることを望むばかりです。

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