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英仏、宣戦布告 ―再度の大戦の火蓋―

 193993日、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、名実ともに第二次世界大戦が始まりました。そして、1945年までの6年間に5500万人とも、6000万人とも、6500万人ともいわれる犠牲者を出すことになります。

 ドイツは1933年にアドルフ・ヒトラーが首相に指名されてから、国内向けにはアウトバーンの建設や再軍備による失業者の救済やユダヤ人、共産主義者の迫害、対外的にはヴェルサイユ条約の破棄や国際連盟の脱退などを行いました。ヒトラーは大ドイツ帝国の復活に向けて動き出します。あるときは選挙で平和的に(ザール地方オーストリアなど)あるときは多少の強硬策を(ラインラント進駐など)駆使して領土を拡大していきます。1938年、ドイツはチェコスロヴァキアに西部のズデーテン地方の割譲を要求しました。武力攻撃も辞さないとしたドイツに対しチェコスロヴァキアは軍の総動員令を発動、相互援助条約を結んでいたフランスとフランスの友好国であるイギリスも軍動員令を発動しました。このとき、ムッソリーニが仲介に立ち、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアの4カ国でミュンヘン会談が行われました。当時イギリスとフランスはドイツに対し宥和政策をとりました。戦争回避のためと、ドイツを共産主義国家ソ連への防壁とすることを考えたからです。ミュンヘン会談はヒトラーの思うがままに進み、これ以上領土要求はしないという条件のもとにズデーテン地方の併合を認めました。しかし、翌年ドイツはチェコスロヴァキア全域を併合し、さらにポーランドにダンツィヒやポーランド回廊を要求すると、イギリスもフランスも宥和政策を放棄しました。さらに8月ドイツはソ連と独ソ不可侵条約を結び、世界中を驚かせました。ソ連はミュンヘン会談に呼ばれなかったことに不信感を強めていました。その裏条項としてポーランドのドイツとソ連での分割がありました。193991日、ドイツはポーランドに侵攻しました。ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリスとフランスはドイツに宣戦布告しました。ここに第二次世界大戦の火蓋が切って落とされました。

 ヒトラーは「ドイツ民族の自衛自存」のために領土を拡大し、イギリスとフランスは「同盟国の危機」のために宣戦布告をしました。あなたはどちらを正しいと思いますか。どちらも正しく見えてどちらも正しくないように見えるのです。

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