自由民主党首班政権崩壊・民主党首班政権誕生

 衆議院総選挙が830日に行われ、民主党が308議席を獲得し、単独過半数を固めました。一方、自由民主党(自民党)の獲得議席は119議席と解散以前の議席の6割を失い、政権から転落することになりました。公明党も小選挙区の候補者がすべて落選し、議席の3分の1を失って21議席となりました。これにより公明党も政権から転落する見通しです。共産党と社民党はそれぞれ9議席、7議席と現状を維持しました。これにより、15年ぶりに自民党が参加しない内閣が成立する見通しが立ちました。民主党は社会民主党(社民党)や国民新党と連立内閣を作る予定です。そして、自民党の麻生太郎総裁は辞任を表明し、次期総裁をめぐって混乱が続いています。公明党も太田昭宏代表が辞任し、後継に山口那津男政調会長が就任しました。

 民主党が地方選挙で勝利を重ねる中で、今回の衆議院総選挙は行われました。衆議院解散から総選挙まで40日とったにも関わらず、民主党ブームは収まらなかったようです。民主党が政権交代を前面に押し出して選挙戦にあたった一方で、自民党は政権を任せられるのは自民党しかいないと主張して選挙戦に臨みました。私はマスコミが政権交代か否かを強調して報道するので、私は有権者が民主党にうんざりするのではないかと思っていました。しかし、有権者はそうではなかったようです。

 私は、自民党が選挙で大敗した理由を2つ考えています。1つ目は、自民党が一昔前の共産党のようにイデオロギーに凝り固まり、陰鬱な民主党の批判キャンペーンに終始していたことです。選挙公報に掲載された自民党の公告の中で、「日教組の偏向教育」の文字を見た時は、自民党はいつから右翼民族派団体になったのかと目を疑ってしまいました。それではイデオロギーにほとんど関心のない大部分の一般大衆の気持を引き付けることはできません。それとも右翼民族派の票を集めたかったのでしょうか。また、自民党は民主党の自衛隊政策について、鳩山由紀夫代表のことを「ぶれている」と批判しましたが、麻生太郎総裁の方がよほど「ぶれている」でしょう。「従軍慰安婦はなかった」「朝鮮半島での創氏改名は強制ではなかった」などと言いながら、従軍慰安婦の存在を認める「村山・河野談話」の踏襲を宣言し、田母神俊雄前航空幕僚長を更迭しました。在任中に靖国神社にも参拝しませんでした。これを「ぶれている」と言わずに何と言うのでしょうか。自民党はこのような陰鬱なことしかしませんでした。

 2つ目は、自民党がこれまで行ってきた政治への総括が中途半端にしかできなかったことです。麻生太郎総理大臣が郵政民営化に反対であったことを去年になって明らかにしても遅いでしょう。何より、ここ数年で国民生活が悪化した理由と責任の取り方を明確にしないまま総選挙に臨んでしまいました(結果として今回の総選挙で責任を取らされることとなりましたが)。その上で民主党と同じようなヴィジョンしか示せなかったため、国民の関心は道の選択肢である民主党に流れたと思われます。

 自民党と公明党の政権が崩壊し、民主党と社民党、国民新党の政権が成立しようとしています。しかし、その道はアメリカの民主党と同じように苦難の道となるかもしれません。民主党の公約もまた、自民党のそれと同じように実現可能性が疑問視されています。新たな政権がこれまでの政権とどう違うか、そしてどこまで公約を実現できるか、何より国民をどこまで幸せにできるか、それをとくと見守ることとしましょう。

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