ヘイトスピーチ規制

 ヘイトスピーチ(憎悪表現)を規制する法に関する議論が近年盛んに行われています。「在日特権を許さない市民の会(在特会)」などの「行動する保守」による事件や在日外国人・被差別部落出身者への差別言動が問題になり、ヘイトスピーチに反対するカウンターが街頭で激しい抗議活動を繰り広げる中、ヘイトスピーチ規制法制定の機運が盛り上がっていきました。昨年8月、国連人種差別撤廃委員会が日本政府に対し、人種差別禁止法を制定するとともに、ヘイトスピーチを規制するよう勧告しました。同月野党により「人種等を理由とする差別の撤廃のための施策の推進に関する法律案」が国会に提出されましたが、採決が見送られています。しかし、全国120以上の地方議会でヘイトスピーチ規制を求める意見書が続々と採択され、今年1月には大阪市が全国に先駆けて「ヘイトスピーチへの対処に関する条例」を制定しました。かつて人種差別言動が蔓延しているような危機的状況ではないとしていた日本政府でしたが、今年4月、与党による「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律案」が衆議院に提出され、526日、衆議院で可決・成立しました。

  しかし、ヘイトスピーチ規制は表現規制にかかわるため、反対の声も多くあります。大阪市の条例の議論においてですら、日本人差別などと叫ぶネット右翼だけでなく、表現の自由を守る立場から多くの反対意見が見受けられました。条例採決当日、条例制定を阻止しようと在特会の活動家が議場にカラーボールを投げ込み逮捕される事件も起こっています。

 ヘイトスピーチ(Hate Speech)は「人種・宗教・性別・性的志向などの違いに由来する憎悪感情がもととなって個人や団体を攻撃する演説(リーダーズ英和辞典)」と辞書的には定義されています。各法案についても、「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身を理由とする差別(野党案)」、「日本以外の国または地域の出身者で適法に居住するものを、排除することを扇動する不当な差別的言動(与党案)」と定義されています。批判の一つに「ヘイトスピーチの定義が不明確」というものがありますが、各法案で定義が最初に行われているので批判は当たりません。そもそもヘイトスピーチという言葉を用いる以前に、能動的に変えられない要素(人種・宗教・民族・門地・性別・性的志向など)を以て他者を差別煽動する言動は話者の人間性を疑われるものです。たとえ話者の主張がどれほど正しかろうと、差別言動を一つするだけで主張の正否以前に「恥を知れ」の一言で門前払いされてしまいます。私自身、右翼民族派による「韓国は地球上から消え失せろ」「中国人を日本から叩き出せ」などの民族差別・排斥言動を批判してきました。自らの言説が見ず知らずの他者にどう受け取られ、共感・賛同を得られるか想像できれば、差別言動など言語道断なのです。

同時に、ヘイトスピーチという概念をより広く周知する必要があるでしょう。ヘイトスピーチの世間一般における認識は十分進んでいないのではないでしょうか。ヘイトスピーチに抗議するカウンターに対して安保法案に反対して国会を包囲していたデモ隊の主張(安倍死ねなど)を「安倍政権へのヘイトスピーチ」という新聞記者や「保育園落ちた日本死ね」をヘイトスピーチという自民党の平沢勝栄衆議院議員などは現在の日本におけるヘイトスピーチ認識の一端を示しているといえるでしょう(意味を知りながら相手を攻撃するために用いている可能性も大いに考えられます)。ヘイトスピーチは単なる悪口や汚い表現を意味するわけではありません。

一方で、表現の自由尊重との兼ね合いなど、法が適正に運用されるか民衆が監視する必要はあります。大阪市の条例ではヘイトスピーチを行った個人や団体の氏名・名称を公表する際、審査会の意見を事前に聴くことになっていますが、この審査会が正常に機能するかは今後の運用次第です(対象の所在が判然としない場合は公表されない他、緊急を要する場合は審査会を通さず対象の氏名・名称が公表されます)。与党が提出した法案では「日本以外の国または地域の出身者で適法に居住するものを、排除することを扇動する不当な差別的言動」を規制するとしていますが、沖縄などのアメリカ軍基地撤廃運動を在日アメリカ軍関係者に対するヘイトスピーチとされてしまわないか注意せねばなりません。「アメリカ軍関係者は日本から出ていけ」はヘイトスピーチですが、「アメリカ軍基地は日本にいらない」はヘイトスピーチになりません。また、この法案で保護される対象者として日本国内に生まれながら差別の対象になっている方々(アイヌ民族や被差別部落出身者、在日二世・三世の方など)は含まれているのでしょうか。また、不法滞在者に対して差別言動を浴びせてもかまわないのでしょうか。野党の法案における「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身を理由とする差別」より人種差別に対する認識が後退していませんか。合法な人種差別などありえてはなりません。

差別根絶の視点で見れば、ヘイトスピーチ規制の法制化は終着点ではなく、中継地点でしかありません。国会で議論されている法案は与党案・野党案いずれも罰則のない理念法ですが、アメリカやイギリスなどの欧米ではすでに刑事罰が盛り込まれている法律が施行されています。歴史上長きにわたって続く差別との戦いは、まだまだこれからです。

(以下613日加筆)

524日、ヘイトスピーチ解消法が衆議院で可決され、63日、施行されました。これに前後して65日に「行動する保守」は川崎市でデモ行進を企画していましたが、531日、川崎市は「行動する保守」による公園使用を拒否しました。また横浜地方裁判所は「行動する保守」に在日韓国人支援団体の事務所周辺でのデモ行進を禁止する仮処分を下しました。このため「行動する保守」はデモコース変更を余儀なくされました。当日にはデモ参加者(十数人から四十人)の数十倍に及ぶカウンター(数百人から二千人)に阻まれて、デモ行進は中止に追い込まれました。一方で、東京都内では「行動する保守」のデモ行進が予定通り行われ、警察の対応が分かれました。

罰則のない理念法であるヘイトスピーチ解消法でしたが、「行動する保守」のデモから民族差別的な主張が消えるなど、ヘイトスピーチを抑制する一定の効果は上がっていると言えます。靖国神社で反天連のデモを右翼民族派や「行動する保守」は泊めることができていない一方で、川崎市で「行動する保守」のデモを中止に追い込んだカウンターの力には素直に驚嘆しました。しかし、安全を確保できないからデモ中止ということに多数の群衆が少数のデモを叩き潰した後味の悪さがあります。ヘイトスピーチを遮り、差別対象者を守るという意味ではカウンターの戦法は有効かもしれませんが、「行動する保守」たちに差別言動を心から反省させるには別の方策が必要になります。得てして差別主義者もそうでないものとの差は存外に小さいものです。

一方で「行動する保守」のすべきことは、公園使用を拒否した川崎市やデモを中止させた神奈川県警察、そして表現の自由を侵害する法律を制定した国を提訴すること、有田芳生参議院議員やカウンター諸氏を威力業務妨害や道路交通法違反などで刑事告訴することではないでしょうか。安保法案賛成派の中に安保法案反対派に対して「憲法違反かどうかは裁判所が決めること」と言うものが少なからずおりました。今回は「行動する保守」がそれを実行する番です。少なくともデモ中止という「表現の自由の侵害」が実際に起きているため安保法の裁判のように裁判所も門前払いにはしないはずです。いくらネット上で文句を言い募っても現実を変えられません。しかし、差別デモではなく純粋な政党批判であるという主張は通じないと思った方がよいでしょう。差別デモでないといくら言い張ろうとも、「基地外朝鮮人」や有田議員や慰安婦像などを指して「コジキ土人」などと書いたプラカードを見たら誰が差別デモでないと認識するでしょうか。京都朝鮮初等学校襲撃事件では在特会が「スパイの子供」「キムチくさい」などの罵声を浴びせておきながら差別ではないと主張していましたが、裁判では人種差別行為が認められました。このことからも差別でないという主張が裁判で通じるとは考えられません。

(Twitterより引用)

法律が制定されたところで差別との戦いが終わるわけではありません。法律で禁止されたところで、人の心はそう簡単には変わらないものです。差別言動を直接的に封じ込める努力とともに、差別主義者達にいかにして差別主義と決別させるかを検討しなければなりません(差別主義者との対話など、こちらの方が相当な労力を要しそうです)。差別との戦いだけでなく、国家権力が差別を利用して言論弾圧を行う可能性を考慮しなければなりません。警察当局の主張に従うわけではありませんが、司法判断を積み重ねていくことも重要です。

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