ムッソリーニ処刑 −夢と消えたローマ帝国−

1945428日、イタリアでファシスト党を率いたムッソリーニ・ベニートが愛人クラレッタ・ペタッチェとともに銃殺され、ミラノのロレート広場で逆さ吊りにされました。ファシスト党がファシズムの語源となったことは有名です。19406月にドイツの要請でイギリス・フランスに宣戦布告したイタリアでしたが、装備の古さや兵士の質の悪さなどが災いして逆にドイツのお荷物となり、19437月連合軍がシチリア島に上陸しました。これにはムッソリーニの弾圧により不満を持ち連合軍に内応したシチリアマフィアも貢献しました。これを機にムッソリーニは首相を解任され、代わって首相となったピエトロ・バドリオは9月に連合国に降伏し、逆にドイツに宣戦布告しました。ムッソリーニは監禁されますが、ナチス親衛隊(SA)によって救助され亡命政府の首班となります。しかしこれもうまくいかずスイスへ逃亡しようとしましたが、途中でレジスタンスのパルチザン(遊撃隊)に捕らえられてしまいました。彼は「命を助けるのならば帝国を与える。」とまでいって命乞いしましたが、略式裁判で死刑判決が下されました。ローマ帝国の復活を掲げ隆盛を極めたファシズムの創始者ムッソリーニ。その最期はあまりに寂しいものでした。

ところで、ファシズムの創始者と言いましたが、細かいところはヒトラーの影響を受けているようです。始めムッソリーニはヒトラーを嫌っていました。ユダヤ人迫害もありませんでした。しかし、1935年のエチオピア侵攻で各国の非難を受けてドイツに接近、翌年ベルリン・ローマ枢軸が形成されました。これには後に日本も加わります。形成後からイタリアではユダヤ人迫害がはじまります。それでもドイツより緩やかでした。

ムッソリーニの墓には今も花が供えられています。近い将来日本のA級戦犯のようになるかもしれません。

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