ノーベル賞授与式に考える

 スウェーデンのストックホルムとノルウェーのオスロで、1210日、ノーベル賞の授与式が行われました。物理学賞は、世界初の撮影用CCD半導体回路(デジタルカメラに内蔵されています)の開発、そして光ファイバー内における光伝達の研究に対して贈られました。化学賞は、世界で初めて細胞内で蛋白質を合成する蛋白質リボソームの分子構造を解明した研究に贈られました。平和賞は、核廃絶を目指すと今年4月プラハで宣言したアメリカのバラク・オバマ大統領に対して贈られました。

 私はオバマ大統領が受賞したことを信じられませんでした。オバマ大統領は今年4月、チェコ・プラハで、「米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、信念を持って明言いたします。」と宣言しました(演説の全文はこちらです)。世界はこれを熱狂的に取り上げ、今年の広島平和祈念式典で秋葉忠利広島市長が式中、オバマ大統領の決まり文句であるYes, we can.」という表現を使うほどでした。しかし、世界はあまりにオバマ大統領に熱狂しすぎではないのでしょうか。果たしてオバマ大統領は自らの掲げたプロセスを滞りなく実行できるのでしょうか。そして世界の平和と安全を作ることができるのでしょうか。宣言するだけならば私でも出来ます。しかし、私は平和賞を受賞できません。現職のアメリカ大統領が宣言するからこそ、宣言したことを実行できる(そして宣言したことに対して最大の貢献をすることができる)立場であるからこそ、平和賞を受賞できたのでしょうが、それならば宣言したことを実行しなければ意味がないのではないのでしょうか。

 そもそもオバマ大統領が本当に核廃絶を望んでいるのなら、オバマ大統領は核兵器廃絶の象徴である広島・長崎を訪れるべきでした。しかし、オバマ大統領が訪れることはありませんでした。核兵器を実戦で用いたからこそ、被害を受けた国の住民が原爆を、原爆投下をどう受け止めているのか知ろうとすべきではなかったのでしょうか。その点でも私はオバマ大統領が平和賞を受賞したことに納得することができませんでした。

オバマ大統領はアフガニスタンのアメリカ軍を増派しようとしています。そして受賞記念演説ではそれを「正しい戦争」と表現しています。元を正せばジョージ・ブッシュ前大統領が始めた「テロとの戦い」ではありませんでしたか。「テロとの戦い」は正しかったのですか。それではブッシュ前大統領とオバマ大統領はあまり変わらないのではありませんか。米キニピアック大学世論調査研究所の世論調査でオバマ大統領は受賞するに値しないと考えるアメリカ国民が66%に上っています。多くのアメリカ国民は宣言しただけで何も成し遂げていないオバマ大統領に違和感を覚えたのでしょう。

既に一部の世論調査ではオバマ大統領の支持率が50%を下回っています。雇用状況の悪化と「テロとの戦い」継続のためです。果たして、今からでもオバマ大統領が国内問題の解決にめどをつけ、広島と長崎を訪れたうえで核廃絶を成し遂げ、ノーベル平和賞に値する人間となれるかどうか、見せていただきましょう。それができなければ、オバマ大統領は世界あるいは自国の平和と安全どころか、自分の平和と安全も守れないかもしれませんから(日本の鳩山由紀夫総理大臣は手遅れかもしれませんが)。

日本編

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