ノーベル賞授与式に考える

 1210日(日本時間1211日)、スウェーデンのストックホルムで(平和賞はノルウェーのオスロで)ノーベル賞の授与式が行われました。今年、ノーベル平和賞は半世紀以上続いたコロンビア革命軍との内戦に終止符を打ったコロンビア大統領に対して贈られました。ノーベル物理学賞は磁性に関するトポロジー相転移および物質のトポロジカル相の理論研究に対して贈られました。ノーベル化学賞は分子レベルの機械を志向した超分子の合成と機能発現に関する研究に贈られました。そしてノーベル生理医学賞は細胞内の不要なタンパク質が分解される現象であるオートファジー(自食)を発現する遺伝子を特定し、そのメカニズム解明および制御に関する研究を成し遂げた大隅良典東京工業大学栄誉教授に贈られました。今年の生理医学賞は日本人として3人目の単独受賞となりました。

 タンパク質は細胞や酵素などを構成する生物にとって重要な物質です。生体内では、生命活動を維持するため絶えずタンパク質の合成・分解が起こっています。タンパク質の新規合成は体外から摂取したアミノ酸から可能ですが、栄養を摂取していない状態でも細胞は生命活動をある程度続けることができます。この時、細胞は生命活動の維持に必要なタンパク質をどのように得ているのかが謎に包まれていました。これに関して1930年代から体内で不要なタンパク質の分解が起こっていることが予言されていました。1955年、細胞内でタンパク質が分解される小器官としてリソソームが発見され、リソソームでタンパク質が分解される現象をさしてオートファジーと名付けられましたが、そのリソソームにタンパク質が輸送されるメカニズムが長らくわからないままでした。大隅教授は1992年に酵母でのオートファジーとその分子的な機構を解明し、オートファジーの機構がヒトなどの細胞でも保持されていることを発見しました。更にオートファジー発現に関係する遺伝子を特定し、オートファジーの発現を人工的に制御することにも成功しました。これらの発見は生命がタンパク質の合成と分解の平衡により成り立っていることを裏付けることとなりました。この研究を皮切りにオートファジーにかかわる研究は盛んにおこなわれるようになり、現在も世界各地で研究が続けられています。また現在までにオートファジーは癌やアルツハイマー病、糖尿病など様々な病気の進行と深くかかわっていることが分かっており、オートファジーを制御する医薬品の開発競争が繰り広げられています。以上が大隅教授による業績の私なりの理解です。詳しい研究内容は大隅教授の原著論文や著書、関連書籍などでご確認ください。また間違い等があれば掲示板やお問い合わせフォーム等でお知らせくださると幸いです。

 大隅教授は、研究に成果ばかり求める姿勢を止め、長期的な視点で若手研究者の育成を行っていかなければ基礎研究が立ち行かなくなると訴えました。8年前、小林誠教授や益川俊英教授も同じことを訴えています。学術研究にはすぐに研究成果を論文にまとめられる研究もありますし、なかなか研究成果が挙がらずとも意義ある研究もあります。予想どおりの結果が得られる研究もありますし、予期せぬ結果から生まれる研究もあります。どのような研究に価値を見出すかは人それぞれです。しかし、日本の教育研究に対する公的支出はOECD諸国の中でも最低レベルです。国公立大学の運営費交付金は減らされ、研究者たちは研究資金を競争的資金に頼らざるを得ません。多くの競争的資金の対象となる研究は13年程度の短期的なものが多く、その間に目に見える研究成果や社会的インパクトを要求されがちです。研究者たちは書類仕事に追われ、研究に従事可能な時間が減る一方で、従事する研究自体も短期的で「社会の役に立つ」(研究費を獲得しやすい)ものしか認められなくなってしまいます。競争的資金それ自体を否定する気はありませんが、それに依存することなく、研究者たちのあらゆる「果てしなき知への欲求」に応えられるように政府が財政や制度を整えていかなければなりません。

 この最近、日本人がノーベル賞を受賞するたびに日本人の偉大さを讃え、韓国人が受賞しないことを論う産経新聞のような存在が見られますが、特段日本人が偉大なのではなく、受賞に値する研究を成し遂げた研究者が偉大なのです。この数年世界の大学ランキングで日本の大学がアジアのトップであった時代は遠くなり、アジア、ことに中国やシンガポールなどの大学が日本の大学を次々と追い抜いています。現在ノーベル賞の受賞対象になっている日本の研究は主に20年、30年以上前に行われたものであり、評価されるまでに相当な時間がかかっています。幾人ものノーベル賞受賞者たちが訴えているように、20年、30年経って大いに評価される研究が可能な環境を公共の手によって整備しなければ、ノーベル賞の受賞どころでなく、日本の研究開発自体の衰退を招くでしょう。日本すごいという自画自賛による現実逃避をしている場合ではありません。

 また将来の日本を担うはずの子供たちの環境も悪化の一途をたどっています。厚生労働省の調査では日本の子供の6人に1人は貧困状態にあることが明らかになっています。日本国憲法第26条には「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて等しく教育を受ける権利を有する」と規定されています。能力ある子供たちの夢や将来が貧困によって奪われることは日本や世界にとって大きな損失になることは火を見るより明確です。一時期問題になった「貧困女子高生」問題にも言えます。アニメーターになる夢をかなえるために専門学校に通う資金を持たない彼女もその資金さえあれば、未来の押井守となりえるかもしれないのです。こうした家庭的に恵まれていない子供・若者でも能力さえあれば夢がかなえられる社会に変えていかなければなりません。

 最後になりましたが、日本人のノーベル賞受賞が毎年一過的なニュースにならないことを祈りつつ、大隅良典名誉教授のノーベル賞受賞を心よりお祝い申し上げます。

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