中国問題

 北京オリンピックを8月に控えた2008年になって中華人民共和国(中国)の情勢は急展開を迎えています。1月の農薬混入餃子事件に始まり、3月にはチベットで発生した暴動を武力で鎮圧し多数の死傷者を出しました。それに伴いオリンピック開会式出席を見合わせる国家元首が続出し3月から4月の聖火リレーでは世界各国で妨害活動がありました。日本の右翼は北京オリンピックを日本がボイコットするように主張し、426日には長野でリレーの妨害活動を行っています。5月には四川省を中心に大地震が起こり、7万人以上が死亡し数百万人が住む家を失いました。

 農薬混入餃子事件の捜査は日中双方の警察に任せるしかありません。日本では中国からの輸入品が風評被害で売れなくなっていますが、中国製品だけ疑ってもあまり意味がありません。どこの何の食材に有害物質が含まれているか分からないからです。ここ数カ月の食品会社の表示偽装問題や飲食店の料理の使いまわしが次々と発覚している今、国内の食品も信じられなくなっています。食品を扱う企業はコンプライアンスを重視しなければなりません。究極的に消費者は生産者を信頼するしかないのです。また、これを機会に食料自給率を向上させなければならないという人がいます。私もその意見には賛成です。しかし、現在の中央集権的な地方制度のもとでは望めません。地方分権政策の下、住民が自発的に農業活性化への取り組みを考えだすしかありません。

 チベット問題は領土問題とよく似ています。歴史を通じての民族意識だけでなく底に眠る資源をめぐる問題もあります。チベット地方は7世紀から吐蕃と言う国があり、17世紀にはチベット仏教ゲルグ派の法王ダライ・ラマを頂点とする王国が成立しました。現在世界遺産のラサのポタラ宮もこの時代に作られました。18世紀に当時の中国清王朝に征服され理藩院がおかれます。19世紀後半には中国が列強に分割される中でイギリスが実効支配しました。第二次世界大戦後かつての列強が次々中国から手を引き、国民党と共産党の内戦において共産党が勝利し、チベットは1951年中華人民共和国に編入されました。1959年にダライ・ラマ14世がインドに亡命します。以来ダライ・ラマ14世はインドの亡命政府を中心に活動しています。以来チベットは緊張しています。1989年にも暴動が起きました。

 私としてはチベット暴動の武力鎮圧は非難に値しますし、中国政府の強圧的な政策も問題があると考えています。しかし、あの暴動は独立運動と言うよりは、自分たちの窮状を訴えるためのものではなかったのでしょうか。それを武力で押しつぶすのはいけないことですが、彼らの発するメッセージを曲解することもいけません。チベット住民の求めるものは、困窮する生活や役人の不正など、もっと身近で穏健で切実な問題ではないのでしょうか。ダライ・ラマ14世の考えていることは、独立よりも自治権の拡大であると考えられます。ましてやオリンピックのボイコットなど全く考えていないでしょう。ダライ・ラマ14世は北京オリンピックは中国人にとってもチベット人にとっても誇りだと述べています。5月には中国当局と亡命政府の関係者が接触するなど、今少しずつ双方の対話が進行しています。この流れはどうなるか見守りましょう。

 そもそもオリンピックに政治問題は似つかわしくありません。古代ギリシャにおいてオリンピックが行われるときは戦争も休戦となりました。近代オリンピックの発案者クーベルタンが求めたオリンピックの真理がここにあるとしたら、聖火リレーの妨害とは何と愚かしい行為なのでしょうか。

また、右翼団体の街宣車にチベットの旗やダライ・ラマ14世の写真、国境なき記者団のポスターが貼ってあったり、保守派が抗議デモでチベットの旗が掲げられたり、”Free Tibet”と叫んだりするのを見ます。世界各国で使われる中国への抗議活動のスローガン”Free Tibet”(チベットを解放せよ)は欧米で生まれたものです。国境なき記者団も基本的には欧米の組織です。さらに聖火リレーにおいて妨害と言う形で抗議の意を示すという発想自体欧米で生まれたものではないでしょうか。さらに日本に来てかねてからチベットや新疆ウイグル自治区の独立を主張する右翼や保守派が独立を言い換えたのではないでしょうか。つまり、普段白人至上主義や欧米至上主義と言って批判する人々がここでは欧米の人々の発想に相乗りするというおかしなことが起こっているように思えます。中国の人々も、かつて世界各地を植民地支配した連中がどうして今頃になって独立を支持するのか、我々の成長を恐れているのかと考えているかもしれません。チベット暴動の武力鎮圧を理由とした北京オリンピックのボイコットや国家元首の開会式見合わせというのは、ただの先進国の独りよがりではないかと考えます。チベットの独立を主張する人はせめてダライ・ラマ14世の写真は使うべきではありません。

5月の地震では大きな被害が出ました。建築基準を満たしていない建物や建築基準のない時代に建てられた建物の多くが倒壊し、特に建築基準を満たしていない学校が倒壊して多くの子どもが死んだことは大きく報じられました。中国国内の富豪たちはこぞって寄付をしました。世界中の中国からの留学生が募金を集めました。中国当局の対応も北京オリンピックを控えて素早いものでした。地震の翌日には温家宝首相が被災地に入り、現状を視察しました。そして各国の支援物資や人的支援を受け入れ、不正や怠慢を働いた役人を解任しました。それでも学校が倒壊して亡くなった子供たちの遺族の要求を退けるなどのことがありました。その中で人々は政治への疑念を抱き始めています。どうしてこのような事態が起こるのか、政府は何をしているのか、どうしたら防ぐことができるのか、そのことを考え始めています。インターネットの掲示板には日本を含め各国の救援部隊に対する感謝の書き込みがありました(2005年の反日デモで話題を呼んだ愛国者同盟網ですら)。さらに6月に起きた岩手宮城内陸沖地震に対する哀悼の意を示す書き込みがありました。それと同時に社会体制の在り方に疑問を呈する書き込みもありました。そして少しずつ中国政府も民意を取り入れやすいように、また腐敗の撲滅など民意を取り入れようとしています。

これらの中国の社会的変化は、(少なくとも表面的には)北京オリンピックが開かれなければ起こらなかったのではないかと思います。変化した情勢がオリンピック閉幕後も続くことを願うばかりです。2010年の上海万博の年に同じ情勢になっていないことを祈ります。

最後に北京オリンピックの成功と四川大地震の被災地の早期復興をお祈り申し上げます。

(以下91日更新分)

右翼団体は開会式の直前、当日そして開会式翌日まで抗議活動を続けましたが、その抗議が功を奏することもなく北京オリンピックが開幕し、大盛況のうちに閉幕しました。日本は金メダル9個、銀メダル6個、銅メダル10個の合計25個のメダルを獲得し、大いに盛り上がりました。北京では大きな混乱は見られず、私もよかったと思っています。しかし、一方オリンピックの前半新疆ウイグル自治区で爆弾テロが相次ぎました。この国の情勢の根深さがうかがえます。中国政府は交渉によるチベットや新疆ウイグル自治区の独立を承認するか、住民の動きを抑えきれなくなって手放すか、武力で持ちこたえるか、交渉で独立を思いとどまらせるかを将来選ぶことになるでしょう。他にも開会式の花火がテレビ映像では合成であったことや歌う少女の口パクなど開会式の裏側が暴露されたりしましたが、そのようなことをあげつらってどうするのでしょうか。意味をあまりなさないような気がします。農薬混入餃子事件の捜査が難航し、四川省で再び地震が起こるなど、難問が山積みですが、北京オリンピック後の中国が元の硬直した体質に戻らずにさらに民意を取り入れる国になることを願うばかりです。

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