中国問題

 75日、新疆ウイグル自治区の区都ウルムチで大規模な暴動が起き、漢族とウイグル族との衝突でこれまでに200人近くが死亡し、1500人以上が警察に拘束されました。これを受けてサミットに出席していた胡錦濤国家主席も急遽帰国しました。この暴動に対しトルコのエルドアン首相が中国政府を非難する発言をし、外交問題になりかけました。現在もウルムチでは武装警察による警戒態勢が続き、集会の開催が制限されています。

 ウイグル族は本来トルコ系の遊牧民族です。8世紀ごろに強大となりましたが、9世紀にキルギス族の侵攻によって分裂します。その後、現在のパミール高原から新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)にわたる地域に移り、次第にイスラム教が普及していきました。東トルキスタンでは、1933年以来、統治していた軍閥がソ連寄りの政策をとり、国民党と対立していました。しかし、1941年の独ソ戦においてソ連が不利になっていると見るや、今度は国民党に接近します。このような中で、民衆の中から独立運動の動きが起こりました。しかし、独立運動は当初から分裂しており、その分派にソ連、中華民国が接近してきます。一時は独立を宣言しますが、最終的には中華民国と手を組んだソ連の指導によって独立は放棄され、中華人民共和国に吸収されました。

この問題はチベットの問題と同様に複雑な問題があります。まず、中国政府が数と暴力で現地の不満を圧殺しようとしていることです。もう一つは、お互いが相手の方が優遇されている(ウイグル族の方が税制の面で優遇されているそうです)、或いは自分たちの方が待遇が悪い(漢族の方がウイグル族より収入が多いそうです)と思っているということです。

 中国政府がまたしても暴力を用いて不満を強硬に圧殺しようとしていることには憤りを隠せません。いつまでも力では抑えられません。中国政府は去年のチベットでの事例に何を学んだのでしょうか(何も学んでいない可能性もあります)。漢族も初めから喧嘩腰であったところもおかしいでしょう。しかし、ウイグル民族の行く末をどうするかを決めるのは慎重を要しそうです(チベット問題でも述べたとおり、独立した後に自立した国家として運営していけるのかという問題があります)し、それを決めるのはウイグル民族自身です。そして何より東トルキスタンの平和と安定を祈るばかりです。

戻る

inserted by FC2 system