死刑問題

小泉純一郎内閣、安倍晋三内閣、福田康夫内閣と続いて、死刑の執行が相次ぎました。時の法務大臣たちは口をそろえて、「死刑は国民の理解を得られている」と答えています。この言葉は大変疑わしいものですがはたして死刑は妥当なのでしょうか。死刑は1983年の最高裁判所の判決で「犯行の内容、動機、殺害方法の残忍性、結果の重大性、殺害された人数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状などを考慮して、その罪が誠に重大であり、犯罪予防の観点からも極刑がやむ負えない場合」に処すると定められています。要するに「この人は処刑されなければ罪の意識を持たない」と裁判官が判断した場合です。実際に罪の意識を持つ人はどれだけいるか分かりませんが。その場合、宅間守死刑囚のように謝罪の言葉なしで処刑される者もいれば、ただ一度の安らぎと考えて処刑される人、日本では確認されていませんが、処刑を快楽やスリルと考える者もいます。こうして死んでいったとき、どう思いますか。私なら親族を殺された悔しさと重なってさらに悔しいと感じます。そんな人ばかりいるわけではないだろう、と思うでしょう。それでも犯人が処刑されてよい気分になる人はいないと思います。また、殺人の被害者の遺族がよく犯人を極刑にするように訴えていますが、その意図は何でしょうか。確かに犯人は憎いです。被害者の無念を晴らしてあげたいです。殺人は決して許されません。しかし、法廷はかたき討ちをする場所ではありません。あくまで法の裁きを与える場です。それに犯人が処刑されても、被害者は本当に喜ぶのでしょうか。失われた命はもう戻っては来ません。人の命は等価であるという理由で死刑を肯定する人がいますが、等価だからこそ被害者と同じようにかけがえのない命を奪ってはいけないようにも思えます。それ以前に、私たちは、人の命とは平等性か絶対性どちらが本質かという問いの答えを探さなければならないのかもしれません。

世界的に見ても、死刑は廃止される傾向にあります。死刑のある国(70カ国程度)より死刑のない国(120カ国以上)の方が多いのです。死刑が犯罪抑止力になるかも疑問です。アメリカでは、死刑のある州と死刑のない州の殺人発生率は同じだそうです。

ではどうするのでしょうか。まず、被害者やその遺族に対して救済措置を施す制度を整備することです。被害者が置き去りのまま、心の傷を抉ろうとするマスコミと孤独に闘わなければならないことも極刑を求める遠因と考えられます。被害者や遺族が心のカウンセリングを無償で受けられるような法制を早急に整備すべきです。その上で、死刑の代わりに仮釈放なしの終身懲役刑を設ければよいのです。この世から存在を抹消したいだけならそれでよいはずです。罪を背負ったまま残りの人生を塀の中で生きていくのです。生きていることが死ぬことより辛いことはよくあります。この刑と死刑はどちらが残酷でしょうか。

これはあくまで管理人の意見です。この文章を読んで傷ついた、馬鹿にされたとお思いになりましたら本当に申し訳ありません。

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