サミットをとらえて

 77日から10日まで、サミット(主要国首脳会談)がイタリアのラクイラで行われました。今回は、二酸化炭素の排出量抑制の問題、イラン問題、経済問題などが議論されました。今回はG8(アメリカ、イギリス、イタリア、カナダ、ドイツ、日本、フランス、ロシア)だけでなく、インド、中国、ブラジル、南アフリカ、韓国なども参加し、合計27カ国が参加したサミットとなりました。ただし、中国の胡錦濤国家主席は新疆ウイグル自治区での暴動発生に対処するため急遽帰国しました。日本の麻生太郎総理大臣はロシアのメドヴェージェフ大統領と北方領土問題をめぐって会談し、アメリカのオバマ大統領とも会談しましたが、目立った成果が得られませんでした。

 ラクイラは今年46日に大地震に見舞われ、大きな被害が出ています。サミットも瓦礫が散在する中で行われました。イタリアのベルルスコーニ首相は復興支援のために急遽開催地をラクイラにしたそうですが、サミットに使う予算があるのであれば、その予算を被害者の救済に充てるべきではなかったのですか。いくら開催地を首脳やその妻たちがラクイラにしたところで、たった半日の視察ではただの「見世物」にしかなりません。

 また、今回も、温室効果ガスの排出削減問題をめぐって、先進国と他の国々が対立しました。議長声明では、「我々は、金融規制及び国際金融機関(IFIs)の強化、並びに開かれた市場の世界的維持を含む、需要を支え、成長を回復し、金融の安定を維持するための必要なすべての措置を講じるとのロンドン・サミットでなされたコミットメントを強く再確認する。我々は、引き続きこれらの決定を迅速に実施し、すべての国に対して、国際経済・金融システムの強化に向けて断固たる行動をとり、他国への影響に関して協力し責任をもって作業するよう求める」といったように以前に行われた会議の内容を踏襲するといった内容や、「再確認する」、「求める」等、弱い表現が目立ちます。求めることが目的でないことは当然のことですが、やはりある程度経済力のある国家間の利権が対立するとこの議長声明に見られるような弱い、抽象的な内容、表現にならざるを得ないのでしょう。このようなことを考えると、サミットが形骸化しているという批判にも頷けます。そもそも、経済力のある国家だけが世界の重要事項を決定できるのであれば、国連は何のために存在するのでしょうか。そもそも、国連の役割とサミットの役割の違いとは何なのでしょうか。

  去年も同じことを言いましたが、巨額の費用をかけて権力者のみが集まる割にあまり拘束力を持ちそうにないサミットそのものの在り方を見直すべきではないでしょうか。また、今回のサミットで成果を得られなかった麻生首相の求心力低下は避けられないでしょう。そして自由民主党の求心力低下も避けられないでしょう。日本では衆議院の解散・総選挙が近いうえに、内閣の支持率が10%20%ととても低い状態が続いています。各国の首脳は絶望的な状況にある麻生太郎首相を見捨て、既に次の内閣総理大臣に目を向けている、といったところでしょうか。次がどうなるかは全く不透明ですが。

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