右翼分析

 このウェブサイトで取り扱う内容の最大のものは「右翼」です。皆さんは一体どのようなイメージを持つでしょうか。やはり良い印象を持っている方は多くないのではないでしょうか。そもそも右翼とはいったい何者なのでしょうか、私の知る限りの知識でご説明いたします。ウェブサイトの内容上ここは日本の右翼(右翼民族派と書かせていただきます)について書かせていただきます。

 右翼の辞書的な定義は「保守派。また、国粋主義、ファシズムなどの立場(広辞苑)」となっています。ブルボン王政を打倒したフランス革命のただなかの1791年に召集された立法議会において、立憲君主制によるブルボン王朝の存続を唱えたフイヤン派が議長から見て右側に、穏健な共和制を唱えたジロンド派が中央に、急進的な共和制を主張したジャコバン派が左側の席を占めていました。これが保守的、国粋主義的な思想をもつ人々を右翼と呼ぶ由来です(そして、急進的あるいは社会主義、共産主義的な思想をもつ人々を左翼と呼ぶ由来でもあります)。

 日本の国粋主義の始まりは江戸時代の国学にあるとされておりますが、明治時代には近代的民族主義が生まれ欧化主義と激しく争いました。1881年に玄洋社が作られ社長の頭山満をはじめ第二次世界大戦前の政界で大きな影響力を持ちました。その一方でこの玄洋社は大アジア主義のもと朝鮮半島などアジア各地の民族運動を支援していました。日露戦争の頃には日本国家を第一とする国家主義が勃興し、大陸進出を肯定する向きが生まれました。

第一次世界大戦後には北一輝や大川周明などの右翼思想家が活動しました。1923年に出版され陸軍皇道派将校たちのバイブルとなった北一輝の「日本国家改造法案大綱」には、私有財産の制限など社会主義に近い内容があります。北一輝は二・二六事件のときに将校を扇動したとして処刑されましたが、このころ右翼は現代の右翼につながる「反共産主義(反共)」を大きな活動指針とするようになります。一方大川周明は北一輝と対立し1919年に猶存社を結成しました。大川周明は第二次世界大戦後にA級戦犯として起訴されますが、精神障害を患ったとして免訴されます。

 もう一つ説明しなければならないのはあまり右翼思想と関係のない任侠(ヤクザ)由来の右翼団体です。1919年に原敬内閣の下で内務大臣床次竹次郎の指導のもとで作られた大日本国粋会は、博徒や侠客で構成され、当時隆盛を極めた労働運動や小作争議を鎮圧するために活動しました。大日本国粋会は他の任侠系団体と抗争をするなど、実態はほとんど暴力団と同じような組織もありました(大日本国粋会は現在の指定暴力団國粹会の源流であると言われています)。

 昭和の初めになると不況の中で大陸進出の主張が盛んになり、そのために経済や社会の国家による統制を目指す動きが盛り上がります。いわゆる国家社会主義ですが、これには民族主義だけでなく社会主義的要素も入っていました。また佐郷屋留雄の浜口雄幸首相銃撃事件(1930年)や血盟団事件(1931年)、神兵隊事件(1933年)など右翼によるテロ、クーデター未遂などが相次ぎます。1930年代後半になると国家社会主義による「国家改造運動」は戦時体制として確立していきます。しかし戦争が激しくなるとそういった右翼活動の多くは休止状態に入っていきます。

 第二次世界大戦後、右翼勢力の多くは公職追放されました。しかし、冷戦が激しくなるにつれ、日本がアメリカの逆コース政策によって親米反共の立場をとるようになると、反共を唱える右翼と自民党は太いパイプを持つようになります。1957年には右翼活動家で元A級戦犯の児玉誉士夫らにより全日本愛国者団体会議(全愛会議)が設立され全国の右翼団体が加盟しました。1960年の安保闘争では、自民党の命を受けた児玉誉士夫により、右翼や暴力団関係者が集められ安保反対のデモ隊を攻撃しました。その後も19601970年代の大学紛争などで過激派の攻撃や日本社会党、日本共産党関係の組織(日本教職員組合など)への襲撃や抗議活動が繰り返されました。この時代、反共が主張の根幹を占める右翼が多く暴力団がしばしば介在していたそうです。この流れに反旗を翻したのが、一水会や統一戦線義勇軍、大悲会などの新右翼と呼ばれる右翼です。彼らの基本的立場は「反米愛国抗ソ救国、安保破棄、国軍創設」でした。新右翼関係者はよくメディアにも登場しますが、彼らは盛んに国家権力と対立するため、既成の右翼と比べるととても特異な存在です。しかし最近は新右翼以外の右翼でも反米を主張する者がおり、新右翼とその他の右翼が共闘したりすることも多くなっているので(1991年のソ連崩壊以降、竹島問題で韓国が従来の右翼の抗議対象に加わってからその傾向が顕著です)右翼の分類は極めて困難になりつつあります。

 (ここから2010526日追記)

 20098月に民主党が衆議院総選挙で圧勝し、9月に民主党、社会民主党、国民新党による連立政権が発足しました。ほぼすべての右翼民族派は反民主党を主張しているので、全国の右翼民族派は危機感を強めています。民主党の国会議員には輿石東参議院議員など元日本社会党の議員も存在し、右翼民族派最大の敵の1つである日教組・連合から政治献金も受けています。また、政権交代以降、民主党首班政権が外国人参政権や親東アジア外交、天皇陛下と中国要人との会談の実現など、右翼民族派の怒りを買うような政策(さらに右翼民族派が主張するには、中国からの1000万人の移民受け入れや人権擁護法案など)を実行していく一方で、民主党の鳩山由紀夫総理大臣や小沢一郎幹事長の政治資金疑惑は晴れないままです。そのため、政権交代以降は民主党への抗議活動にも力を入れるようになっています。しかし、そのために支持する政党は団体によって異なるようです。自民党の政権復帰を望む右翼民族派もいれば、民主党も自民党も同質であるとして国民有志の決起を呼びかける右翼民族派もいます。

そして、私が活動を見た限りですが、それに伴い警察への文句など活動時の行動の荒さが目立つようになったと感じます。そこには自らの主張と逆方向に世論が向いてゆくことへの焦りと苛立ちがあるのかもしれません。

(ここまで2010526日追記)

(以下2016314日追記)

民主党政権から自民党政権に戻り、右翼民族派は反政府でなくなりました。活動の重点は既存の反左翼運動や従軍慰安婦に関する吉田証言の誤報を認めた朝日新聞に対する抗議活動に移っています。自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs)も共産党や民主党、社民党が手引きする「左翼」であるとして攻撃対象になりつつあるようです。しかし、右翼民族派も安倍晋三内閣や自民党を完全に支持しているわけではなく、竹島の日を未だに制定しないことや、日韓合意で従軍慰安婦の軍の関与を認めたことなどを受けて抗議活動を行っています。

一方、「行動する保守」を名乗る保守系市民団体の活動もこの10年ほどで活発化しています。その活動は差別感情に満ち溢れており、京都朝鮮初等学校襲撃などの事件と関係者の逮捕、在日特権を許さない市民の会の高田誠前会長は差別言動で法務省から勧告を受けるに至りました。最初「行動する保守」は右翼民族派と異なるものであると自らを定義していましたが、現在右翼民族派とお互いに影響を受けあっているようです。その一端として「行動する保守」の人間が右翼民族派と活動を共にしている一方で、最近右翼民族派からも「行動する保守」のように朝鮮人が反対勢力に対する罵倒語として出るようになっています。

その一方で、右翼民族派の中で自分たちの主張から外れたものを許さない空気になっているのではないかとみられる時があります。20153月に鳩山由紀夫元総理大臣のクリミア半島訪問に同行した「エセ右翼」一水会・木村三浩会長への抗議活動、SEALDsのデモ行進を自主的に警備していた全日本憂国者連合会議との係争などがそれに当たります。右翼民族派から意見の多様性は失われつつあるということなのでしょうか。

(ここまで2016314日追記)

(以下20221229日追記)

最後にこちらを更新してから6年が経ちました。この間に起こった出来事は激動というよりほかありません。安倍晋三内閣が憲政史上最長の在任記録を更新する間に、政府や自民党に様々なスキャンダルや問題が持ち上がりましたが野党は与党の牙城を崩せていません。右翼民族派は野党を糾弾しつつも一向に拉致問題や憲法改正、領土問題を進展させようとしない自民党に対して批判しました。

2019年に元号が平成から令和に移り変わり、右翼民族派の多くもこの改元を祝いました。その一方で、初の元号事前発表など多くの慣習を破った政府に対する批判も多く見られました。しかし翌年からCOVID-19による新型肺炎が中国から端を発して全世界で流行し、右翼民族派も度重なる緊急事態宣言などで活動を自粛せざるを得ませんでした。その中で2012年から歴代最長の在任期間を誇った安倍晋三内閣が退陣し、内閣が菅義偉内閣を経て現在の岸田文雄内閣と移り変わっていきました。最初は右翼民族派も社会もコロカウイルスの流行への対応に苦慮していましたが、最近は右翼民族派もコロナ禍から脱し、徐々に大規模な街宣活動を再開しつつあります。そして新型コロナウイルスの発生源である中国への抗議活動を活発に行っています。中には報道を根拠に新型コロナウイルスを中国が開発した生物兵器とまで断言する者もあります。

外交問題では国際社会への影響力を増していく中国や2022年初頭、ロシアがウクライナへの軍事行動を開始すると、多くの右翼民族派は反ロシアの観点からウクライナ支持を打ち出しました。一方で反米の立場をとる右翼民族派にはロシア支持ないしウクライナを支援する諸国に批判的な者もいます。ウクライナを支持している右翼民族派もウクライナの主張をすべて支持しているわけでもなく、中国の空母をウクライナが製造したこと、ウクライナ政府が作成した動画の中で昭和天皇をヒトラーやムッソリーニと同列に扱ったことなどをとらえて批判したりもしました。また同年7月に安倍元総理大臣が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に恨みを持つ男に射殺されましたが、これをきっかけにかつて反共のもとに共闘したはずの旧統一教会を今や多くの右翼民族派が糾弾しています。しかし右翼民族派との思想的な親和性が高いはずの安倍元総理大臣に対しては弔意を示す団体と示さない団体に分かれました。

右翼民族派の中には民主党政権末期に旧民主党や社民党への極端な憎悪の裏返しとして存在していた自民党への期待はすでにほとんど失われているように見えます。

(ここまで20221229日追記)

 以上、右翼の流れに軽く触れてみました。間違いがあったらお教えください。現在右翼と言われて私たちがもっとも普通に考えつくのは、やはり日の丸や旭日旗、菊の紋(皇室の御紋)が描かれた街頭宣伝車(街宣車)を使う右翼でしょう。右翼街宣車を初めて作ったのは大日本愛国党であると言われています。大日本愛国党は第二次世界大戦前の衆議院議員であった赤尾敏によって1951年に設立され、その関係者は1960年の浅沼稲次郎日本社会党書記長刺殺事件や1975年の三木武夫首相殴打事件など様々な事件を巻き起こしています。右翼主だった主張・活動としては以下のものがあげられます。

・反共

・天皇制の護持

・日本国憲法の改正

・領土の返還(特に北方領土)

・教育の正常化、愛国心の育成

・日本固有の精神、文化の護持

・以上の綱領に反する政治家・企業の糾弾

 これに伴った年中行事には次のようなものがあります。

12日 皇居への一般参賀

1月下旬〜2月 日本教職員組合(日教組)教育研究全国集会抗議活動

211日 紀元節(建国記念日)橿原神宮等参拝

223日 天長節(天皇誕生日)

429日 昭和の日 武蔵野陵参拝等

53日 憲法記念日 護憲集会抗議活動等

89日 反ロシアデー ロシア大使館抗議等

815日 終戦記念日 靖国神社参拝等

8月中旬〜下旬 全日本教職員組合(全教組)教育研究全国集会抗議活動

929日 反中共デー 中国大使館抗議等

1028日 竹島奪還デー 韓国大使館抗議等

 その他、各地赤旗まつり、共産党、社民党演説会抗議活動等

 基本的には尊皇と反共に関連した、あるいは関連していた運動が多くみられます。社会民主党(かつては日本社会党)や日本共産党は護憲を主張していましたし、日教組と全教組はそれぞれ社会民主党、日本共産党の支持基盤ですし、赤旗まつりは日本共産党が主催しています。ロシアは社会主義国家ソ連の領土をほとんど引き受けていますし、中共は中国共産党の略です。また、社会主義組織と対立する動きがあればたとえ思想的な関係がなくても支援する傾向があります。チベット自治区や新疆ウイグル自治区、内モンゴル自治区、台湾の独立支援をするのはそのためと考えられます。

 右翼民族派のことをうるさい、鬱陶しい、怖いと思っている方も多いかもしれません。しかし私は右翼民族派団体の(街宣)活動を否定する気はありませんし、彼らの活動をうるさいとも怖いともあまり思いません。彼らも何かを訴えたいからあのような街宣活動をしているわけですし(彼ら自身自らの活動が騒音につながっていることは理解しています)、それは思想に関係ありません。右翼民族派の主張は理性的、論理的なものより感情(民族感情)に訴えるものが多いのが特徴で(最近はそうでもありませんが)、何も考えずに聞けば頷きたくなります。しかし、少し主張について考え始めると突っ込みたくなる点に思い当たります。最近は右翼民族派団体も普通の市民団体のように徒歩デモをしたり署名活動をしたりすることが多くなっていますが、主張の傾向は変わりません。このウェブサイトを見ている皆さんも街宣車から聞こえる演説を耳にしたら、いろいろな情報と比較していろいろな角度から内容を考えてみて、自分なりの考えを形作ってはいかがでしょうか。

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