主権回復の日 ―冷戦と現代日本の苦悩―

 1952428日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は連合軍の占領状態から独立を回復しました。しかし、同日日米安全保障条約も締結され、日本にアメリカ軍が引き続き駐留することとなりました。この日、独立国であるにも関わらず外交においてアメリカに対して強い態度に出られない現代日本の原型が出来上がりました。そして右翼民族派はこの日を「主権回復の日」と呼んで様々な活動を行います。

 1945年、日本は第二次世界大戦に敗北し、アメリカ軍を中心とする連合軍に占領されました。そこで、大日本帝国下で作り上げられた社会体制を作りなおす作業が行われました。日本国憲法の制定、治安維持法の廃止、戦争協力者の公職追放、農地改革、教育改革、財閥解体、労働組合の再建などがそれにあたります。それは日本を理想的な民主国家へと導く物となるはずでした。しかし、アメリカとソ連の冷戦が激しさを増し、朝鮮半島にアメリカが支援する大韓民国とソ連が支援する朝鮮民主主義人民共和国が形成されると、アメリカは日本を味方に引き入れようと画策します。いわゆる「逆コース」政策です。1948年から日本は独占禁止法や過度経済力集中排除法などを改正し、第二次世界大戦前の財閥復活への足掛かりを作りました。また、社会主義・共産主義者の影響力を排除するため、国家公務員法の改正で労働運動の中核をなしていた官公庁労働者の労働争議権をなくし、戦争協力者への公職追放を解除しました。1950年に朝鮮戦争が始まるとアメリカは警察予備隊を組織させ、再軍備を開始させました(警察予備隊は1952年に保安隊となり、1954年に自衛隊となりました)。

 そして、日本が占領状態から独立するにあたり、ソ連や中華人民共和国のような社会主義国を含むすべての連合国と講和する全面講和論と、まずアメリカを中心とする諸国とだけ講和する単独講和論が対立しました(この対立のため当時の日本社会党は単独講和を主張する派閥が右派、全面講和を主張する派閥が左派として分裂しました)。結局、19519月、サンフランシスコ講和会議では単独講和路線が採択され、社会主義国であったソ連、ポーランド、チェコスロヴァキアは調印を拒否しました。また、ユーゴスラヴィア(現在のセルヴィア、モンテネグロ、スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、マケドニア、コソヴォ)、インド、ビルマ(現在のミャンマー)は会議に参加せず、中国は国民党政府も共産党政府も会議に招待されませんでした。サンフランシスコ講和条約により、日本は樺太と千島列島、台湾、澎湖諸島などの統治権を放棄し、沖縄と小笠原諸島はアメリカの占領が続き、連合国への賠償責任が生じました。その後、アメリカやイギリスなどの主要国は賠償権を放棄し、アジア諸国に関しては主に生産物や役務の提供という形で賠償が行われています。これが戦後日本の世界経済への進出のきっかけとなりました。

一方、日米安全保障条約(日米安保条約)により、日本に「極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によって引き起こされた日本国における大規模の内乱及び騒擾を鎮圧するため」アメリカ軍が駐留することが決まりました。この条約では、アメリカ軍に日本を防衛する義務はありませんでした。また、アメリカ以外の外国の軍隊が駐留することはできなくなりました。この条約の期限は、「国際連合又はその他による日本区域における国際の平和と安全の維持のため充分な定をする国際連合の措置又はこれに代る個別的若しくは集団的の安全保障措置が効力を生じたと日本国及びアメリカ合衆国の政府が認めた時」でした。つまり国際平和が実現されたと日本とアメリカが判断された時です。さらに、日米行政協定により、アメリカ軍の経費を日本が負担することになりました。これ以降、日本はアメリカの庇護のもとで経済成長への道を進んでいくこととなるのです。1960年、新日米安全保障条約が締結され、アメリカ軍に日本防衛の義務が生じ、その期限は10年ごとに自動延長されることになりました。そして、安保闘争が巻き起こります。以来、日本はアメリカに対し国内の反米感情と圧倒的なアメリカの力に対する服従、そして他国との関係との板挟みの中で苦悩し、現代に至っています。

歴代の自由民主党政権はアメリカにすり寄ることで、経済成長を維持してきました。右翼民族派も、アメリカに対しては批判をしてきませんでした。しかし、現在は左翼や新右翼を中心に反米が叫ばれています。アメリカ軍駐留に関する予算を日本が負担することで日本の財政が圧迫されている他、アメリカ軍兵士の犯罪などの問題が起きています。そのたびに日本政府はアメリカ政府に押し切られて、解決をうやむやにしてきました。一方で、アジア諸国では従軍慰安婦訴訟をはじめとして未だに賠償を求める訴訟が続き、日本政府がそれに応じないことが世界で波紋を広げています(このような戦争補償問題については戦争補償問題を参照してください)。右翼民族派ではありませんが、やはり1952428日に始まった戦後体制の変化が望まれるのではないでしょうか。

なお、沖縄では、428日を「屈辱の日」と呼ぶのだそうです。第二次世界大戦において日本本国に裏切られ、切り捨てられ、アメリカの属領として差し出されたその屈辱からでしょう。アメリカのために、あるいは政財界のために日本の政治があるのではないこと、日本本土のためだけに沖縄が存在するのではないということを今一度認識しなければなりません。

1952428日をもって日本は本当に主権を回復したと言えるのでしょうか。アメリカに対する主体なき忍従が始まっただけではないのでしょうか。それが現在問われようとしています。

(以下2013415日加筆)

安倍晋三内閣によりこの日が正式に「主権回復の日」として制定されました。政府主催でこの日記念式典が開催されることとなりました。これを捉えて既に左翼勢力を中心に反対運動が広がっているようです。沖縄県の仲井真広多知事は記念式典を欠席し、代理人を送ることを決定しました。

沖縄に配慮しなければならないことは明白です。沖縄県民から見れば米軍基地が永遠に沖縄に残ることが決定した日なのですから。大概の左翼団体はそのような理由から反対しているようですが、私は少し違う視点から憂慮します。サンフランシスコ講和条約によって名目上日本国は主権国家として独立しましたが、現在でもアメリカ軍が駐留しています。毎年2000億円以上の国家予算がアメリカ軍のために使われています。日本政府の政策もアメリカの意向をほぼ汲んだものとなっています。現在の日本のどこに独立主権国家の姿があるのでしょうか。ただのアメリカの属国と言えるのではないでしょうか。そもそも安倍晋三内閣は環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉に参加することを明言しています。TPPはさらなる貿易自由化を推し進め、関税による保護を不可能にする条項が含まれています。日本はさらに国内の産業を衰退させていくのです。そこに日本の主権はあるのでしょうか。その一方でこのような国家主権を強調し、憲法を改正して国を防衛するための軍隊を創設するとはどういうことでしょうか。歴史上アメリカ軍なしの国防など考えてこなかった自民党政権はアメリカの意向が関係していない国防計画など考えられるのでしょうか。産業を衰退させた結果生じる国民の不満を権力によって作られた愛国によって回収するモデルが今まさに作られようとしているのではないでしょうか。

果たして現在の自民党政府が真の独立主権国家を作ろうとしているのでしょうか。表向き独立国家であることを強調しながらアメリカへの忍従をさらに深めようとしているだけではないでしょうか。

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