ノーベル賞授与式に考える

 1210日(日本時間1211日)、スウェーデンのストックホルムで(平和賞はノルウェーのオスロで)ノーベル賞の授与式が行われました。今年、有機化合物のクロスカップリングの研究によって北海道大学の鈴木章名誉教授とパデュー大学の根岸英一特別教授がノーベル化学賞を受賞しました。

 今日、身の回りには炭素と水素を基本骨格とする有機化合物があふれています。この記事を読んでいる皆様のパソコンのキーボードも液晶も有機化合物でできています。医薬品も有機化合物がほとんどです。このような有機化合物は天然に存在するものを抽出するものもありますが、天然に存在しないものは人工的に合成しなければなりません。有機化合物を合成する際に少なからず必要となるのは、炭素と炭素の結合を形成することです。これは言うほど簡単なことではありません。クロスカップリングが報告される以前の方法としては、結合させたい部位にある有機化合物の炭素原子上にプラスの電荷を持たせた陽イオン(カルボカチオン)と有機化合物の炭素原子上にマイナスの電荷を持たせた陰イオン(カルボアニオン)をつくり、それを電気的に結合させるというものでした。例としてそのような反応のもっとも古典的なものであるグリニャール反応を例にあげます。

grinard

ここで、グリニャール試薬は電気陰性度の低いマグネシウムにより結合している炭素はマイナスとなり、アニオンとなります。これがアセトンの酸素と結合した炭素と反応し結合を作ります。酸素は炭素よりも電気陰性度が大きく結合している電子を引き付けるので、アセトンの炭素原子はややプラスの電荷を帯びます。この二つの炭素が電気的に引き寄せあって結合を作るわけです。しかし、この反応ではグリニャール試薬を合成する際、次のような副反応を生じてしまいます。

Biphenil

このため、グリニャール試薬は水が一切存在しない条件で合成しなければならず、また合成後すぐに使用しなければなりません。さらにグリニャール試薬が空気中の二酸化炭素とも反応してしまうため、厳密には不活性ガス(窒素、ネオン、アルゴンなど)を充填して反応を行わなければなりません。他にも炭素と炭素の結合を作る反応はありますが、いずれも強塩基性試薬や高圧が必要であったり、安定なカチオンやアニオンになろうとして様々な種類の生成物が同時に合成されてしまったりと不便なことが多いのです。

 しかし、クロスカップリングはこのような状況の有機合成を大きく変えてしまいました。クロスカップリングとは、2種類のそれぞれ異なる組み合わせの脱離基をもった有機化合物を、金属触媒を用いて結合させるものです。この反応の先駆として次の熊田・玉尾・コリューカップリングがあります。

KumadaTamao

 上の反応の例では臭素とマグネシウムが脱離基として働き、ニッケル触媒に有機臭素化合物が臭素とそれ以外に部分が結合することでニッケルがある程度安定な錯体となります。次に臭素がグリニャール試薬の有機部分に置換されたのち、結合している2種類の有機化合物がニッケルから脱離する際に結合し、矢印右の生成物が得られます。しかし、この反応ではグリニャール試薬の反応性が高く、副生成物を生じやすいため、応用範囲が狭くなります。応用範囲を広げるために様々な脱離基や触媒を用いたクロスカップリング反応が研究され、報告されてきました。その中の3つが今回ノーベル賞を受賞した根岸カップリング、鈴木・宮浦カップリング、溝呂木・ヘックカップリングです。

 根岸カップリングは、例えば次のような反応です。

Negishi

根岸反応ではハロゲン(フッ素、塩素、臭素、ヨウ素)化亜鉛とハロゲン原子が脱離基として働き、パラジウムまたはニッケル触媒上に結合します。

 鈴木・宮浦カップリングは、例えば次のような反応です。

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鈴木・宮浦反応ではハロゲン原子とホウ酸とアルカリの塩が脱離基として働き、パラジウム触媒上に結合します。

 溝呂木・ヘックカップリングは、例えば次のような反応です。

MizorogiHeck

溝呂木・ヘック反応では、ハロゲン原子と不飽和部の水素が脱離基として働き、パラジウム触媒上に結合します。

 この反応ではカチオン・アニオンにすると不安定になり、複数の生成物を与えてしまう不飽和結合をもつ化合物でもカチオン・アニオンにすることなく反応に用いることができ、一種類の生成物を与えます。とくに鈴木・宮浦反応は、反応に必要な化合物が安価で、副生成物のホウ素化合物の毒性が低く、反応溶媒に水を用いることができるので、有機合成にはとても有用な反応です。ここで挙げた反応には日本人の名前が必ず含まれていましたが、クロスカップリング反応の研究では日本(日本人)が最先端を切っているのです。しかし、未だ日本の科学界では危機的な状況が続いています。財政縮小に伴う文部科学省予算の縮小、低いままの国家予算に占める教育研究費がその最たるものです。鈴木章教授は、蓮舫議員の「なぜ世界一でなければならないのか。2位ではだめなのか?」という発言を「愚問」であるとして、「科学や技術をまったく知らない人の発言だ」と批判していましたが、モチベーションの低い国では研究が進まないのは当然でしょう。ぜひ、これを機に日本政府は教育研究に力を入れていただきたいものです(ノーベル賞の受賞数を基準にするのはナンセンスですが)。

 ノーベル賞の受賞内容についてもっと詳しく知りたいという人は化学をよく知っている人に尋ねるとよいでしょう。私もある程度は対応できます。掲示板お問い合わせフォームにてご連絡ください。

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