教育・愛国心問題

 

 最近日本では学力低下が問題となり、ゆとり教育の見直しが盛んに叫ばれます。また全国でいじめが社会問題となり、いじめが原因で自殺する子供が後を絶ちません。教育基本法に愛国心の記述が盛り込まれ、国歌「君が代」斉唱を拒否して処分を受けた教師が訴訟を起こしたりしています。

 ゆとり教育の見直しが叫ばれて久しいです。ゆとり教育は1970年代に日本教職員組合(日教組)が提唱しました。そこには過熱する受験勉強への反発がありました。筆者も受験勉強を経験した一人ですが、それは勉強としてはいかがなものかと思いますが、人生経験としてはよいものと思います(私は二度としたくありませんが)。そこで経験する努力、歓喜、落胆、絶望は人生の糧となります。ゆとり教育の弊害は世間で言われるとおりです。その責任は追及されるべきでしょう。人間全員が平等にはなりえません。しかし現在の教育の問題をすべて日教組や、1990年に日教組から分裂した全教組のせいにするのはおかしいと思います。そこには文部科学省などの責任はないのでしょうか。少なからず文部科学省の責任はあると思いますが(もちろんすべてとは言えません)。

 そもそも近代の教育というものは、子供を社会の枠に当てはめる行為であり、その過程において、学校の規範、社会の規範、もっといえば集団の規範に当てはまらない、或いは当てはまろうとしない人間に対し、集団の中でその不純分子を排除しようとする動きとしていじめが発生するものと思われます。つまりいじめの問題は、「あってはならないこと」ではなく、「当然起こること」として考えていかなければなりません。つまり、教育勅語など導入しても子供を拘束するものが増えるだけ(つまりいじめの材料が増えるだけ)で、何の解決にもなりません。実際、教育勅語が有効であった戦時中に疎開した子供たちの間でいじめはありました。ではどうすればよいでしょうか。いじめの性質上、いじめを完全になくすこと、発生を防ぐことはほとんど不可能です。そこでいじめを受けた人は対応を迫られます。いじめに耐えられなくなったとき、自殺するのではないでしょうか。私もいじめを受けたことがありますが、対応する手段としては無視するか反撃するかでした。相手はこちらが反撃してくるとは思っていないため、あっけにとられて反撃できません。それを繰り返すうちにだんだん無くなっていきました(これは私の事例であってすべての事例に当てはまりません)。いじめの解決法は人それぞれ違います。一概にこれが原因と特定できないから難しいところです。

 愛国心と言うものは何でしょうか。改正教育基本法によれば、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」心です。それは自発的なもののはずです。それはあってもよいものです。したがって国旗の掲揚や君が代の斉唱を拒否して処罰することは間違っています。国旗の掲揚や君が代の斉唱は強制されるものではありません。ましてや愛国心を成績評価の対象にするのは論外です。成績のための愛国心を子供たちに植え付けることになってしまいます。愛国心と国家社会主義の狭間で国旗や君が代は議論されていくべきです。

また、愛国心と「国のために死ねる」心とは違います。私にはこの国の伝統と文化を愛する心はありますが、国のために死ぬことはできません。「国のために死ねる」と言う人がいますが、そう言う人に敢えて問います。あなたは国のために、対象がたとえ自分の尊敬する人、自分の親兄弟であろうと、人を殺せますか、またはその覚悟がありますか。対象を殺害した後、何の負の感情も抱かずにいられますか。自らの命を粗末にできるのならば、人の命を粗末にできるはずです。国のために死ぬ状況はいろいろあると思いますが、仮に戦争を想定しましょう。前線に送り込まれて、敵兵を目の前にして、あなたはその敵兵を射殺できますか。或いはあなたが市街戦に投入されて、戦闘員であるゲリラと非戦闘員である人がともに視界に入ってきたとき(もちろんどちらがどちらであるかは見ただけでは分かりません)、あなたは引き金をひけますか。そして非戦闘員を誤って射殺したとき、何も後悔せずにいられますか。私は到底できません。おそらく食べたものを吐き戻すぐらいでは済まないと思います。今自衛隊がイラクに派遣されていますが、イラク帰還隊員たちの中にPTSD(心的外傷後ストレス障害)で自殺する人が後を絶ちません。一発の銃弾も撃っていないにもかかわらず。そのようなことを考えると、「国のために死ねる」と言う人は、恐らく任務中に死んでしまう、或いは生還後生活に重大な支障をきたすものと思われます。「国のために死ねる」と言うことは、ただの自己満足ではありませんか。愛国心と「国のために死ねる心」。その違いは区別しておくべきです。右翼も左翼もその違いがわかっているのか疑問です(この混同は右翼よりむしろ左翼に多く見られるような気がしますが)。

 「教育は国家百年の計」とはよく言ったものです。多くの議論がなされるべきです。

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