憲法問題

今の日本の憲法は日本国憲法です。1946113日に公布され194753日から施行されています。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を柱とし、60年以上日本の政治の根本原則となってきました。しかし、保守派政治家や右翼達はこの憲法を「押し付け憲法」や「占領憲法」、果ては「亡国憲法」などと言って憲法を改正しようと画策しています。53日の憲法記念日を「民族屈辱の日」とする団体もあります。本当にそれで良いのでしょうか。

 194510月マッカーサーは大日本帝国憲法の改正を指示しました。しかし松本烝治を委員長とする憲法起草委員会は帝国憲法の言葉尻を変えただけのような修正案しか出せませんでした。天皇の判断で受諾が決定したポツダム宣言に違反していますが、国体護持の考えがあったのかもしれません。明らかにポツダム宣言に違反しているこの案をGHQは当然「最も保守的な民間草案よりもさらにずっと遅れたもの」として拒否します。そしてマッカーサーの出した法案が可決されました。帝国憲法が敗戦を招いたというのに、憲法を変えようとしなかった日本政府は何を考えていたのかということです。これは因循姑息と言われても仕方がありません。

 ところで、改憲派は何を主張しているのでしょうか。彼らは日本国憲法をアメリカが押し付けた憲法であるとし、日本人が自ら憲法を創るべきだと言っています。右翼は更に日本の歴史、伝統、文化を考慮するように主張しています。大日本帝国憲法を正当憲法として復活させるよう求めている者もいます。どうでしょうか。

まず、アメリカにひたすら忍従するだけの憲法改正は止めていただきたいものです。真の民族主義者ならばアメリカへの忍従を許すでしょうか。自衛隊を自衛軍に改組し、アメリカの為だけに派遣する、これはアメリカの属国以外の何でしょうか。そもそも戦闘行為を可能にするだけならば、今の憲法解釈でも十分できます。ほとんどの戦争は自衛戦争の名目で始められるからです。ある人は、改憲派に憲法を改正するのはいいが、アメリカと戦争をする覚悟があるか、軍についての具体的な構想はあるのか、そしてその答えを憲法改正案に盛り込んではいかがかと問いかけていました。私も聞いてみたいところです。精神だけで戦争はできません。今のままでは朝鮮民主主義人民共和国の問題を始めとする対外危機に対応できないと言う人がいます。日本政府は2002年の日朝共同宣言のように対話による外交である程度成果をおさめています。ミサイルを撃ってきたではないかと言うかもしれません。朝鮮人民軍もミサイルを本土に着弾させる程莫迦ではないでしょう。着弾させれば少なくとも今はアメリカと戦争になります。そうなれば勝算はほとんどないことを彼らは理解できるはずです。大日本帝国と同じ轍は踏まないはずです。

 右翼はどうでしょうか。彼らは日本の歴史、伝統、文化を考慮するように主張していますが、彼らはそれらの本質が何であるか説明できるでしょうか。少なくとも管理人の私には分かりません。恐らくこの問いには誰も答えられないと思います。また歴史、伝統、文化ばかり主張していて具体性がありません。憲法を変えること自体に意義は無くどう変えるかが問題なのです。大日本帝国憲法の復活を考えている人は人権が法律の留保を受けても構わないということですか。たとえ自分が治安維持法のような法律によって危険思想の持ち主として令状なしで逮捕され、拷問され、殺害されても構わないということですか。その覚悟があって主張するならば大いに主張して頂いて結構です。管理人の私はその時々に応じた適切な条文を追加するだけで良いと思います。なぜなら自衛隊の存在意義を明確にしなければならないからです。ここで私は自衛隊の役目を国土の防衛ではなく、主として災害救助などの人道支援と考えます。自衛隊含め日本人に武力で国土を守ることはできないと考えるからです。そのうえで自衛隊の武装を解除あるいは削減します。人道支援に戦車や地対空ミサイルやクラスター爆弾やプラスチック製地雷は必要ありません。

 また、憲法9条を暴力廃止の条文と解釈し護憲集会の警備に抗議する人も少なからずいます。9条は「@日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。A前項の目的を達するため、陸海空その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」です。見る限りこの条文は戦力を放棄する条文であって、暴力を廃止する条文ではありません。

 そもそも国家や権力は暴力の助けを借りて成り立っている側面があります。ここでいう暴力とは必ずしも国防のための暴力ではありませんが。暴力を背後にちらつかせて人々から税金という名目で財産を略奪し、公共事業という名目で国家の為の物を作ります。その最低限の暴力として警察があります。暴力を完全に失った国家や権力は崩壊するしかありません。軍や警察に裏切られて崩壊した国家や政権は数え切れませんから。

 憲法を全く変えるなとは言いません。不断に憲法の意義を見直していくことは重要です。ただ今の憲法の上に必要に応じて条文を追加していけばいいと思っています。

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