領土問題

日本は今3か所の領土問題を抱えています。

1つ目は、北方領土の問題です。194588日、当時のソ連は、ヤルタ密約により日本に宣戦布告し、89日「満州国」に侵攻しました。有効期限が1946424日までの日ソ中立条約を一方的に破棄する形となりました。そして93日までに「満州国」、朝鮮半島北部、全千島列島、樺太(サハリン)を占領しました。1951年サンフランシスコ平和条約が結ばれ、日本は樺太(サハリン)と国後島、色丹島、択捉島、歯舞諸島以外の千島列島の領有権を放棄しました。しかし、ソ連はそれらの島々から撤退しませんでした。1956年の日ソ共同宣言では平和条約の締結後、まず歯舞諸島と色丹島を返還すると定めました。しかし、冷戦の中で1960年ソ連の外相グロムイコが書簡を出し、歯舞諸島と色丹島の返還の条件として、「日本からの全外国軍隊の撤退」を加えました。日本には当然アメリカ軍がいますので北方領土はもらえないわけです。1991年にソ連は崩壊しましたが、この問題はロシアに引き継がれ、現在も平行線をたどっています。日本では右翼団体のほぼ全てが北方領土の返還を主張しています。

2つ目は、独島、つまり竹島の問題です。1946年、竹島はポツダム宣言によって分離されます。1952年、韓国初代大統領イ・スンマン(李承晩)の名をとったイ・スンマン(李承晩)ラインが引かれ、竹島は韓国領となり、1954年には、警備隊を常駐させ、竹島の実効支配を始め、同年1028日、韓国政府は日本の竹島問題を国際司法裁判所に付託する提案を拒否しました。1965年日韓基本条約によってイ・スンマンラインは取り消されましたが、今も韓国の警備隊は常駐しています。そして竹島をめぐる話し合いは今も続けられています。こちらも返還を主張する右翼団体が多いのです。

3つ目は、尖閣諸島の問題です。こちらもポツダム宣言で分離され、1951年のサンフランシスコ平和条約において日本領とされました。その後豊富な天然ガスや石油などの地下資源が確認され、中国と台湾が領有権を主張し始めました。1992年には中国の領海法で尖閣諸島は中国領とされました。現在は日本が実効支配(賃貸だそうです)していますが、たびたび中国や台湾の活動家が上陸しています。また、日本は尖閣諸島の自然を破壊しています。1996年に日本のある団体が尖閣諸島の魚釣島に灯台を建てました。同時に島に山羊を放しました。その山羊が島固有の植物を食い荒らし、魚釣島の生態系を崩壊の危機に追い込んでいます。その団体こそが、日本最大の右翼団体で暴力団住吉会系の日本青年社です(現在灯台は日本政府に引き渡されています)。

いずれにも共通しますが、日本政府は漁業権や地下資源などの資源獲得の下心を隠しつつ国民を民族意識の向上という名目で煽動しているように思えます(他の国も同じかもしれませんが)。本当に国民は心から返してもらいたいと思っているのでしょうか。また、返還された場合、島民(動植物含む)の生活はどうなってしまうのでしょうか。北方領土では日本の領土からパスポートやビザなしの渡航が可能になるなど、日本人とロシア人の交流が広まっています。その交流は返還された場合断ち切られてしまうのでしょうか。また島民の暮らしを保障できますか。尖閣諸島では前述の通り生態系の破壊が深刻です。解決の前に山羊の駆除をした方がよいかもしれません。仮にそのような考慮も一切せずに返還や解決のみを求めるならば、領土問題をイデオロギーの範疇で解決しようとすることになり、毛沢東の文化大革命や、左翼過激派と呼ばれる人たちを安易に非難することはできません。

 領土はないよりあった方がいいに決まっていますし、返してほしいのですが、領土問題は複雑です。民族感情だけで処理するのは危険です。もっとよく考えなければならないこともたくさんあるでしょう。そのうえで双方の合意が得られる形で返還が実現されなければなりません。もっとよく考えることの一つとして、なぜロシアや韓国や中国は島々を返さないかということです。その島々は日本人が大切に思うのと同じように、その国々の人々(あるいは政府)にとっても大切であるということではないでしょうか。

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