捕鯨・動物愛護問題

2008年になってアメリカの海洋動物保護団体「シー・シェパード」(sea shepherd海の羊飼い)による日本の調査捕鯨船への妨害活動が度々ありました。南極海での捕鯨船への侵入、酪酸入りの瓶を投げつけるなどの行為がありました。双方の非難の応酬がありました。オーストラリア政府は双方に自粛を呼び掛けています。

しかし、オーストラリア国民はシー・シェパードへの同情を隠せません。なぜならオーストラリア国民にとってクジラが親しみやすい動物であるからとともに、ニューズウイーク誌によると日本の捕鯨船の南極海での操業を領海侵犯にも等しい思いで見ているからだそうです。オーストラリアにとって南極海は裏庭のようなものです。そこで日本の捕鯨船が操業することは、庭を荒らされるも同然です。

シー・シェパードは、絶滅に瀕する海洋動物を保護しようとする団体です。そしてその中にクジラが入っているわけです。そのためには強硬手段も辞さず、捕鯨船の爆破や漁網の切断などを行ってきました。代表のワトソン船長はイギリスでは「地球を救う50人」に選ばれているそうです。

ちなみに日本の右翼団体は商業捕鯨の再開を主張しています。クジラを食べるのは日本の食文化であり、しかも増えたクジラが他の魚介類を食い荒らしていると主張しています。日本政府が捕鯨に対して理解を求めるのは政府の中に日本会議のメンバーなど右翼の主張に同調する人がいるからでしょう。

動物愛護問題全てに言えることですが、動物が苦しんでいるとか、動物がかわいそうとか、動物を守ろうというのは、あくまでも人間の主観ではないか、ということです。例えば、韓国で犬を食べることが一時問題となりましたが、それはただかわいいペットと思っていたものを食用にしている人々への差別ではないかと思えます。イヌイットの人々は主食のアザラシやカリブーを捕ってはいけないのですか。動物愛護は差別にならない範囲でするべきです。また動物に対して良かれと思ってしたことが、動物にとって迷惑この上ないということもあり得ます。大切なことは、生命と生命から得られるものを大切にすることではないでしょうか。ただ放牧で育った家畜以外の家畜の肉の生産にその肉の量以上の穀物が使われているそうです。それを考えると家畜の肉を食べなければ森林や飢餓に苦しむ人々を救うことができるというのは確かなようです。ただ菜食主義を無理に推進する必要はないと思います。

こういう議論をすること自体が先進国の飽食の象徴かもしれませんが。

同じ議論は環境問題に対しても言えると思います。人間が地球を守るということは人間のエゴイズムの象徴ではないでしょうか。人間も地球の一生物でしかありません。それがまるで地球のコントロールする支配者であるように言うことは当然のことでしょうか。

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