日本学術会議新会員任命拒否と日本の学術研究

 日本学術会議は、科学によって日本と人類の平和的発展に寄与することを目的として、日本学術会議法に基づき1949年に設立されました。以来日本学術会議は政府から独立して提言を行う日本の科学者を代表する機関として機能し続けています。かつて日本学術会議の会員は登録された研究者による直接投票で選出される公選制でしたが、1984年より各分野の学術団体の推薦制となり、2005年には会員・連携会員の推薦制となりました。今年10月、菅内閣は日本学術会議の現会員の推薦による新会員105名のうち6名の任命を拒否しました。1983年に参議院文教委員会において中曽根康弘総理大臣(当時)は「学会やらあるいは学術集団から推薦に基づいて行われるので、政府が行うのは形式的任命にすぎません。」と答弁していましたが、今回の決定はこの答弁と矛盾するものです。加えて任命拒否された6名は安倍晋三内閣の特定機密保護法案や安保法案に反対した経緯があったことから、政府の意向に逆らったことが原因で任命拒否されたのではないか、政府による学問の自由への弾圧として批判を集めています。菅義偉総理大臣は任命拒否について当初「前例をそのまま踏襲してよいのか考えてきた」「総合的、俯瞰的な判断」と語りましたが、のちには105名が記載された新会員名簿を見ていないと語るなど、発言の内容が変わっています。

菅義偉総理大臣の言葉は何も語っていないに等しいものです。「総合的、俯瞰的な判断」という言葉で濁さず、まずこれまではどのような理由でそのまま任命してきて、今回どのような理由でどのように法解釈が変わったのかを具体的に説明すべきでした。たとえ安保法案に反対したことが理由であったとしても、それを筋道立てて説明すれば、国民が納得するかは別としてまだ行政の最高責任者として誠実ではありました。しかし、そういった説明なく任命を拒否するなら政府への信用が失われるばかりか何が政府の逆鱗に触れるかわからない恐怖政治がまかり通ってしまいます。また、仮に政府の意向に逆らえば任命拒否するという決定が肯定されるなら、戦後GHQにより行われた公職追放やレッドパージも肯定されてしまいます。そして政府の意向に反する研究者が社会的に抹殺され、アカデミアが焼け野原になってしまいます。菅総理大臣は任命拒否の理由をわかるように具体的に説明すべきですし、説明ができないというなら速やかに任命すべきです。逆に言うと菅総理大臣が何も語っていないに等しい状況で、今回の任命拒否を「学問の自由の侵害」とまで批判するのは的を射ていないかもしれません。

日本学術会議の体制については私が指摘するまでもなく問題がありますし、日本学術会議の在り方を見直すこと自体は否定しません。今回任命拒否された研究者の1人の言葉通り、研究者からすると日本学術会議の会員は面倒で見返りのほとんどない役職かもしれません。しかし、問題があるとしても、研究者の立場から国の政策に提言を行う機関はやはり必要なのです。何より日本学術会議が抱える問題と菅内閣が新会員の任命を拒否したこととは現状関係があるとは言えず、このことの明確な説明なく日本学術振興会の見直しを提言することは問題のすり替えにしかなりません。菅内閣が今回の任命拒否について任命拒否を撤回するなり具体的な説明をするなりして問題を終結させてから初めて日本学術会議の在り方について議論する土台ができるのです。

そもそも、今回の問題が起こる前に日本学術会議について知っていたという人がどれほどいたでしょうか。日本学術会議と日本学士院、日本学術振興会、科学技術振興機構の区別がついている人が果たしてどれだけいるでしょうか。研究に携わっていない人はもちろん、現役の研究者にとっても日本学術会議というのはかかわりが少なく、なじみの薄い機関であるといって過言ではないでしょう。現在まで日本学術会議について様々なデマが跳梁跋扈していますが、そのデマに乗せられてしまう人の多さが、日本の科学技術、科学行政に対する国民の関心の低さを表しているように思えてなりません。デマの一つとして、日本学術会議が科研費4兆円を再配分しているというものがありますが、今年度の科研費予算が2300億円程度であることを知っていれば騙されないでしょうし、4兆円もあれば日本の博士課程学生や若手の研究者が経済的に困窮したりしないでしょう。

今回菅内閣の行った任命拒否は明らかに説明不足で問題がありますが、それは日本の学術研究の世界が無謬の世界であることを意味しません。日本の学術研究の世界が本当に自由な世界があるかは甚だ疑問がありますし、自由のない世界では革新的な研究成果が出にくいでしょう。日本の学術研究のみならず、日本社会の平和的発展のためには、政治が公平・公正に行われ、政府が説明責任をきちんと果たす必要があります。研究者にも日本の学術研究が置かれている状況を発信する努力が必要ですし、何より研究に携わっていない大多数の国民も日本の学術研究が置かれている状況を正しく知る努力が必要です。

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