この日の演説・シュプレヒコール

「ご通行中の皆さん、私たちは、全国で施行された暴力団排除条例の危険性と、人権を無視したが故に生まれる矛盾が、一般市民を巻き込み、混乱した社会となることを憂い、街宣活動を行なっております。我が国はもはや、国家観念の一欠片も見られない、悲惨な国家民族に成り下がってしまったのでしょうか。差別根絶と言いながら、新しい差別を作り出す、全国の自治体。憲法違反の都道府県条例の制定。本来日本国民は、家族を大切にし、苦しんでいる人を放っておけない心を持っており、身分・職業が違うからとって差別をせず、助け合って生活をし、今日まで国を守ってまいりました。この度の暴排条例の制定は、日本の古きよき伝統文化を壊そうとしています。この度の、47都道府県の条例として施行されました、危険な暴力団排除条例。特定団体、特定組織に対してのみその組織の基本的生存権を侵害し、反社会的勢力といった名称で差別し、組織に属する個人を取り巻く人々にまで反社会勢力関係者というレッテルを貼り、社会から疎外しようとしています。憲法に違反する暴排条例の運用を成功させた暁には、国家権力に反対する勢力・個人はもとより、その個人の親兄弟、配偶者まで社会的に抹殺できるという、私たち国民にとって、自由のない、恐ろしい暗黒監視社会になってしまうのではないでしょうか。このような暴排条例の制定は、平穏な市民生活に疑心暗鬼が生じ、社会混乱の元となるのではないでしょうか。憲法を犯し、権力を振りかざし、新しい差別と国民の排除・抹殺など言語道断であります。私たちは伝統・文化に培われた、素晴らしい国日本を、後世に伝え残していかなければなりません。この度、全国の都道府県において施行されました、暴力団排除条例は、憲法違反の条例であります。人権無視はもちろんのこと、差別問題という大きな危険性を孕んでおります。美しい歴史ある国を、これ以上壊さないためにも、私たちひとりひとりが、国家権力の私物化と暴走を注意深くしっかりと監視していかなければなりません。憲法で、結社の自由を認めながら、かたやそれを条例によって否定し、市民・住民・事業者を全面に押したて、暴力団・ヤクザに対し、勇気をもって立ち向かえ、無責任な話です。それが社会人としての責務であると、それができない人は、暴力団の活動を助長する、利益供与者となって、利益供与の禁止規定に違反したとして罰せられるそうです。怖いですね。無茶苦茶です。警察は、本来やるべきことをやらずして、能力の低下を棚に上げ、一般市民や事業者を巻き込み、暴力団に対峙させようとしています。さらなる社会混乱を招くこととなるような、悪しき条例は、即刻廃止させましょう。警察の天下り権益拡大のための、暴排条例なる悪法は、即刻廃止させましょう。」

いかがでしたか。そして、どう思いましたか。

「我が国はもはや、国家観念の一欠片も見られない、悲惨な国家民族に成り下がってしまったのでしょうか。」良く考えると言っていることの意味がよく解釈できません。右翼民族派の言う「国家観念」とは、「悲惨な国家民族」とはどのようなものを指しているのでしょうか。

「差別根絶と言いながら、新しい差別を作り出す、全国の自治体。憲法違反の都道府県条例の制定。」暴力団排除条例は条文を読む限りでは差別的なものではありません。むしろ差別を生み出すものは権力に萎縮した大衆であるように思えます。

「本来日本国民は、家族を大切にし、苦しんでいる人を放っておけない心を持っており、身分・職業が違うからとって差別をせず、助け合って生活をし、今日まで国を守ってまいりました。」まず日本国民という概念が近代以降に形成されたものであり、古代から現代まで継続して用いることはできません。東北地方は平安時代に坂上田村麻呂に征服されるまで大和朝廷に服属していませんでしたし、北海道や沖縄は明治時代まで正式には日本に帰属していませんでした。次に、「苦しんでいる人を放っておけない心を持っており、身分・職業が違うからとって差別をせず、助け合って生活をし、今日まで国を守って」来たことは本当でしょうか。右翼民族派の単なる空想ではないでしょうか。古くから日本に身分や職業による差別が本当になかったのであれば現代日本において同和問題など発生していません。

「この度の暴排条例の制定は、日本の古きよき伝統文化を壊そうとしています。この度の、47都道府県の条例として施行されました、危険な暴力団排除条例。特定団体、特定組織に対してのみその組織の基本的生存権を侵害し、反社会的勢力といった名称で差別し、組織に属する個人を取り巻く人々にまで反社会勢力関係者というレッテルを貼り、社会から疎外しようとしています。」「基本的生存権」とは基本的人権のことでよろしいのでしょうか。暴力団の犯罪撲滅のためそれに取り巻く人々を「反社会勢力関係者」として取り締まりの対象とするのは困難を極めるのではないでしょうか。人々は暴力団との関係を隠すに決まっていますし、その先にあるものは暴力団の地下組織化です。そうなれば暴力団関係の犯罪がますます取り締まりにくくなり、かえって日本の治安は悪化するのではないでしょうか。

「憲法に違反する暴排条例の運用を成功させた暁には、国家権力に反対する勢力・個人はもとより、その個人の親兄弟、配偶者まで社会的に抹殺できるという、私たち国民にとって、自由のない、恐ろしい暗黒監視社会になってしまうのではないでしょうか。」主張は正しいのですが、現代社会はある意味でそのような状況を望んでいるのではないでしょうか。この条例に限った話ではありませんが、権力に全てを任せて楽になりたいという、大衆全体に漂う倦怠感を表しているようでなりません。ある意味でそれは自らの根本的価値を国家そして天皇に依存する右翼民族派に共通しているように思えます。右翼民族派も「反日左翼」を「社会的に抹殺」したいと願っているわけですから。

「このような暴排条例の制定は、平穏な市民生活に疑心暗鬼が生じ、社会混乱の元となるのではないでしょうか。憲法を犯し、権力を振りかざし、新しい差別と国民の排除・抹殺など言語道断であります。」果たして暴力団が存在する市民生活が本当に「平穏」と呼べるものかどうかの議論はここでは差し置きますが、現に社会が暴力団の排除に躍起になっており、そこに警察関係者が関わっていることは否定できません。しかし、左翼の差別及び排除を主張している右翼民族派もある意味で「国民の排除・抹殺」を主張しているも同然のように思えます。

「この度、全国の都道府県において施行されました、暴力団排除条例は、憲法違反の条例であります。人権無視はもちろんのこと、差別問題という大きな危険性を孕んでおります。」暴力団関係者と目された者たちに関わった人々が処罰の対象となる点においてこの暴力団排除条例は差別的と解釈されかねません。その意味で人権侵害とも言えます。問題の根底にあるものは現代日本における国民の人権意識にあるのかもしれません。

「美しい歴史ある国を、これ以上壊さないためにも、私たちひとりひとりが、国家権力の私物化と暴走を注意深くしっかりと監視していかなければなりません。」「美しい歴史ある国」は右翼民族派の主観であるとして、国家権力の監視は国民の手で主権者として主体的に行われなければなりません。それが民主主義の原点です。

「憲法で、結社の自由を認めながら、かたやそれを条例によって否定し、市民・住民・事業者を前面に押したて、暴力団・ヤクザに対し、勇気をもって立ち向かえ、無責任な話です。それが社会人としての責務であると、それができない人は、暴力団の活動を助長する、利益供与者となって、利益供与の禁止規定に違反したとして罰せられるそうです。怖いですね。無茶苦茶です。」日本の法律で結社の自由を否定しかねないものには破壊活動防止法というものがあります。これに対し右翼民族派はどう考えているのでしょうか。果たして暴力団・ヤクザに「結社の自由」はあるのでしょうか。暴力団・ヤクザを単なる「犯罪組織」として見るならば、「結社の自由」は認められません。しかし、犯罪行為を行わないのであれば、「結社の自由」は認められます。暴力団は犯罪行為しか行わないわけではないでしょう。それはいかなる結社に対しても言えることです。

「警察は、本来やるべきことをやらずして、能力の低下を棚に上げ、一般市民や事業者を巻き込み、暴力団に対峙させようとしています。」能力が低下しているのかはわかりませんが、警察の暴力団との癒着・腐敗・怠慢は国民によって糾弾されるべきであり、暴力団の犯罪と並び追放しなければなりません。

「さらなる社会混乱を招くこととなるような、悪しき条例は、即刻廃止させましょう。警察の天下り権益拡大のための、暴排条例なる悪法は、即刻廃止させましょう。」これらの内容が本当かどうかはわかりませんが、暴力団排除条例の制定には警察が大きく関わっていることはほぼ事実でしょうし、警察権力の肥大化は阻止しなければなりません。

総じて見ると、暴力団排除条例は、恣意的に解釈できる箇所が多すぎるため賛成できません。暴力団の犯罪は撲滅しなければなりませんが、そのために犯罪に無関係な「暴力団関係者」の基本的人権が脅かされる事態が起こってはなりません。一方で、右翼民族派は暴力団排除条例に反対する際に用いる言葉を対立する者たちに向けているのか疑問に感じます。

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