1010

体育の日 ―日本復興の遺産―

19641010日、東京オリンピックの開会式が行われました。このオリンピックは史上初のアジア、そして日本での開催となり、第二次世界大戦の敗戦国日本の復興と経済成長を世界に印象付けるものとなりました。この日は1966年に「体育の日」として祝日にされ、人々の記憶に残されることとなりました。

日本そして東京でのオリンピックは1940年にも予定されていました。しかし、当時ヨーロッパは第二次世界大戦が勃発し、日本も中国との戦争をしていたため、日本が開催権を返上し、中止となりました。しかし1959年、東京、デトロイド、ブリュッセル、ウィーンの中から開催地に選出され、24年の歳月を経て実現されました。当時としては最多の93の国と地域が参加し、盛大に行われました。日本は金メダル16個、銀メダル5個、銅メダル8個の計29個のメダルを取りました。日本の女子バレーチームが「東洋の魔女」の異名をとったのもこのオリンピックです。

日本政府は国家の威信をかけてこのオリンピックだけで約280億円を投入しました。そして競技場や選手村などを建設しました。この時にできた代表的な建物が代々木国立競技場や日本武道館、駒沢オリンピック公園などです。さらにこれにあわせて東海道新幹線や名神高速道路などのインフラの整備などが行われ、現在のインフラの原型が整いました。これにより世界は日本の復興と経済成長を見ることになりました。

日本国内ではテレビの普及率が急上昇し、世間はいわゆる「オリンピック景気」に沸き立ちました。衛星放送やテレビ中継の技術も進歩しました。オリンピックは開催前だけでなく開催後も日本に様々な影響を残しました。日本はこの後も高度経済成長を突き進んでいきます。

しかし、同時に経済成長の陰の部分も出始めました。公害やいわゆる「1億総中流」時代での政治への無関心です。また、現代の役所のモデルもほとんどこの時代に作られました。良くも悪くも東京オリンピック周辺の時代は現代日本体制の原型を作ったと言えます。

ここまで書くと2008年にオリンピックを開いた国とどことなく状況が似ているかもしれません。実際、敗戦の瓦礫から復興し、高度経済成長を遂げた直後の国なのですから国家の威信をかけるのも当然でしょう。

2000年から祝日法の改正により体育の日は10月の第二月曜日となりました。良くも悪くも戦後日本の復興と経済成長の象徴ともいえるこの日の意味はどこへ行ってしまったのでしょうか。日付も定まらない体育の日に何の意味があるのでしょうか。ここでも昭和と同様に休日が増えるという安易な発想のもとで本来の祝日の意味が失われてしまったような気がしてなりません。

inserted by FC2 system