ノーベル賞授与式に考える(日本編)

 今年のノーベル賞受賞者に日本人はいませんでした。毎年日本から出る必要はないのですが。問題はそのような賞をいかにとるかではなく、研究者がいかに有意義な研究をするかですから。

日本国内では引き続き、教育・科学技術関係の予算が削減されようとしています。11月に行われた民主党議員などからなる「仕分け人」による「事業仕分け」において、次世代スーパーコンピューター開発にかかわる予算などが廃止に近い削減を受けようとしました。それを受けて東京大学、京都大学、北海道大学、東北大学、名古屋大学、大阪大学、九州大学、慶應義塾大学、早稲田大学の総長9人が共同で記者会見を開き抗議しました。理化学研究所の野依良治理事長(2001年ノーベル化学賞受賞)も抗議し、スーパーコンピューター開発にかかわる予算については削減額を40億円とし、差額を他の予算で補うことが閣僚折衝で決定しました。民主党の蓮舫議員はその「仕分け」の議論で「なぜ世界一でなければならないのか。2位ではだめなのか?」と発言しました。私はこの発言に衝撃を受けました。そのような認識では、現在でも海外へ流出しがちな日本の若手研究者たちが、世界一を求めてさらに海外の研究機関へと流出してしまいます。研究者は自らの知的好奇心を満たしてくれない場所から自らの知的好奇心を満たしてくれる場所へと出ていくのみです。政府が科学技術は世界一ではなく2位でよいという姿勢では、日本の教育・科学技術水準は世界2位どころか10位にも入れなくなるでしょう。世界一の性能を持つスーパーコンピューターが開発されれば、計算速度だけでなく、計算の精度や計算できる計算量も増加し、日本の科学技術に大きな利点を与えることでしょう。ここでも、すぐに実用につながりそうな成果を求めようとしています。現在すぐに実用できなくとも、将来的には有益となるものも多くあります。政府はそのような研究のために日本において研究者たちが安心して研究に邁進できるように環境を整えるべきであるのに、政府はそれを放棄してしまっています。当面、国家予算に占める教育研究費の割合がOECD(経済協力開発機構)諸国62カ国中最低水準という称号は返上できそうにありません。「科学立国」の響きが空しいと感じるのは私のみではないはずです。来年度予算を削減するなら(教育・科学技術関連のみならず、芸能・スポーツ関係の事業仕分けに抗議した方なら誰もが感じたでしょうが)、削減する部分ならばほかにもあるはずです(私見では、毎年数千億円に上る在日アメリカ軍への「思いやり予算」をせめて数億円にすれば、残りを教育・科学技術予算に振り向けることができます)。

アメリカ軍の普天間基地移転問題も、結局年内に移転先などの結論を出すことができないことが分かっただけで、アメリカ政府との関係悪化と鳩山由紀夫内閣内の混乱の露呈をもたらしただけでした。鳩山由紀夫内閣が発足して4カ月が経とうとしていますが、あまりに途方もないマニフェストを自らに課した上に、閣内にあまりに幅広い思想の閣僚(旧社会主義政党の党首から旧来の自民党政治家を彷彿とさせる人物まで)を内包してしまったため、政策を速やかに実行しようにも全てが中途半端になってしまっています。言うまでもなく、現在直面している問題は以前の自民党政治に戻せば解決を望めるものではありませんし、教育・科学技術関連でいえば、日教組・全教を解体すれば解決する問題ではありません。これからの課題は閣内の意見を迅速にまとめることと、政策の実行力、と言えそうです。政策が失敗続きでも、12月のNHKの世論調査では内閣は未だ56%の支持率を得ています。来年これが60%を超えるか、50%を切るか、来年に残された問題は鳩山由紀夫内閣の試金石となりそうです。この先鳩山由紀夫内閣そして民主党・社民党・国民新党が国民の願いを実現し、失った支持を取り戻せるか、はたまた既に手遅れか、見せていただきましょう。

inserted by FC2 system