2月23日
天皇誕生日 ―日本の象徴の生まれた日―
※この記事は2020年現在のものです。いずれ別の場所に移動するかもしれません。
1960年2月23日、上皇の長男として徳仁親王が生まれました。すでにご存知の方も多いと思いますが、2019年に徳仁親王が天皇に即位して今上天皇となって以来、この日は天皇誕生日となっており、この日に皇居や全国の神社では天長祭が行われます。第二次世界大戦まで天皇の誕生日は天長節と呼ばれていました(それに合わせて天長祭は天長節祭という名前でした)。明治時代の天長節は11月3日(現在の文化の日)、大正時代の天長節は8月31日(すぐに10月31日に変更されました)、昭和時代の天皇誕生日(天長節)は4月29日(現在の昭和の日)、平成時代の天皇誕生日は12月23日です。
天長節という言葉は、中国・春秋戦国時代に書かれた「老子」の「天長地久」という言葉に由来しています。意味は天や大地が永久に変わらないように物事が永久に続くことです。天長地久の「天長」をとった天長節の意味とは、君主の治世が長きにわたって続くことであると考えられ、もともとは中国・唐の時代に行われた儀式をまねたもののようです。同様に、天長地久の「地久」をとった地久節(こちらは皇后の誕生日です)というものが存在し、現在は12月9日が地久節となっていますが、地久節が公的な祝日となったことはありません。制定された当時の男女観が見て取れるでしょう。
右翼民族派は天皇誕生日を今も天長節と呼び、皇居への一般参賀の他に神社参拝や奉祝街宣などさまざまな活動を行います。右翼民族派は天皇陛下の誕生日を国民総出で祝おうと主張しますが、現在の日本は国家神道が国教のように扱われていた大日本帝国ではないのですから、天皇陛下の誕生日を祝うかどうかは個人の自由でしょう。日本国憲法の下では信教の自由が存在しますし、天皇はもはや神聖不可侵なものではありません。祝いたい人が祝えばよいのです。私は皇室問題にもあるように皇室に価値を見出す人間ですが、誕生日を祝うほど崇拝する気はないので、あからさまに祝うことはしません。